南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.

An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

近未来の医療専門職像を俯瞰し,プロフェッショナルとして何ができるか。

近未来の医療専門職像を俯瞰し,プロフェッショナルとして何ができるか。

 

今回は論文紹介ではありません。

栃木群馬合同ポートフォリオ勉強会にゲスト講師として招かれました。

ポートフォリオをご存じない方はキャリア理論についてまとめたこのブログをご覧いただきたい。(存じている方は見ないほうがいいです。10000字とかありますので)

 

平たく言うと『家庭医療の成長を促す内省の記録』です。

 

ポートフォリオの外部の勉強会にゲスト講師として招かれたことがなかったのと

総合診療専門研修プログラムの責任者1年生であり参考にしたかったことと

メイン講師である尾藤先生の講演が聞きたかったことと

群馬・栃木に仲の良い先生が多くアウェー感が少ないこと

以上から,参加を楽しみにしていました。

 

専攻医の先生方の発表も良いポイントを押さえており学習者の質の高さが伺え,私のコメントもあまり出しゃばらない感じでお話できたので,満足のいく会でした。

 

今回のメイン講師の国立病院機構東京医療センターの尾藤誠司先生

講演が『プロフェッショナリズム』だったのですが,学ぶところの多いご講演でした。

 

尾藤先生は数多くのコンテンツを世に出しておられ,

『ヒポクラテスによろしく』

『医師のトリセツ』

『うまくいかないからだとこころ』

などは,とてもオススメです。是非御覧ください。

 

講演の中で興味深かったところです

 

1.エキスパート・スペシャリスト・プロフェッショナルの違いはなにか。

一見すると,どれも特定の領域で高度な能力を持っていますがその意味が異なります。
 
・エキスパート 特定の技能が優れている人だが,自己完結している。(その能力を誰から求められる必要はない)
・スペシャリスト 特定の技能が優れているだけでなく,あくまでクライアント(依頼人)が必要になる。(その技能を欲している人がいる。)
・プロフェッショナル あるクライアントに求められると言うよりも社会全体に求められている。例えば医者・学校の先生はコミュニティーがそうなってほしいと欲している。

 

そうなると,イチローはスペシャリストだと思われるかもしれませんが,野球選手というくくりでは,野球選手全体がプロフェッショナルとはいえないのです(プロ野球選手という単語はありますが,野球選手はこうあるべきという社会から期待はないだろうという話です。)
 
2.プロフェッショナルとはどういう事ができなければならないのか
そんなプロフェッショナルである医師が気をつけたいシチュエーションに
 
患者さんが頭が痛いと言っても『アナタにはMRI必要ない』というものがよくあると思います。これは,専門家が考えるアウトカムが当事者のアウトカムと噛み合っていないパターンです。
 
自分たちが正当だと思っていることは,傲慢でかなり介入的です。
ヘルスケアの専門家として,クライアントにどう関わるかというのが
プロフェッショナリズムを考えるきっかけになると思います。
 
参考になるのはミレニアム憲章に書かれている医師が持つべきものと,それを患者側から感じているものがまとめられています。患者側のコメントが非常に示唆的です。
回答者の背景が必ずしも皆さんの地域と同じとは限りませんが,社会が何を期待しているのかを理解するのは重要であるという研究だと思います。
3つの基本的原則と10の責務

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3.パターナリズムを排除するとプロフェッショナリズムが一緒に排除されるかもしれない

また,2つのケースを紹介して認知的不協和を作り出す例を挙げていました。

胃がんを疑い内視鏡を実施する際に
①テキトウに聞こえの良いことを言って,検査をお勧めするタイプ
②エビデンスに基づく確率で複数の選択肢を提供するも,決めるのは患者さんですよというタイプ
どちらが医師として正当なふるまいか。
 
一見すると②の方が良さそうにも見えますが,患者さんに情報を一方的に伝えているだけでは意思決定のサポートになっていない。ですが,①が良いのかと言うと,まったく根拠のないことは言うべきではない。実際には相手によって1っぽく演じる人と2っぽく演じる人がいる。
 
これは専門的に最適と言われる解が,当事者には違和感があるかもしれないという例です。患者の為と一生懸命やっていることがなんだかおかしなことになっている。本当にその選択で良かったのかを葛藤をし続けるのが大事です。
 
よくパターナリズムは悪と言われていますが,それは傲慢なのかもしれない。
むしろその人のためにしているので,パターナリズムを排除してしまうとプロフェッショナリズムが排除される可能性があるわけです。いいことをしつつも悪いことをしているという相反する視点が必要です。
 
4.倫理的な眼差しとケアの眼差し
重要なキーワードに
①倫理的な眼差し
②ケアの眼差し
この2つの眼差しをもちながら仕事をするというものありました。
 
①の倫理的な眼差しとは『事実と価値は違う』という視点です。
当事者にとっての要望が医学的な最善とは言えないという視点です。もちろん医療者への介入により最善となることもあるのではないか。逆ももちろんあり得るという視点です。
 
一方で②のケアの眼差しは『事実=価値である』という視点です。
例えばHbA1cが10だったが患者さんはピンときていない。患者さんに医療者が驚く様子を見せてあげて,正しく導かなければならない。これがなければケアではない。
これに対して倫理的な視点を持っていなければならない。
 
この2つの視点を行ったり着たりしながら臨床を続ける事が大事です。
Evidencismはケアの眼差しです。分析したり情報があればきっといいことが訪れ,患者に適応すると良いというようなエビデンスとケアが強く結びつきすぎると,倫理的問題に気づけなくなってしまいます。
 
 
5.近未来の医療専門職像
先程のエビデンスを中心に説明する医師の仕事は人工知能がうまくできてしまいます。
患者はエビデンスをたくさん教えてくれる医療デバイスから情報を得て,ヘルスケアプロフェッショナルと一緒に考えていく時代になると思われます。
つまり情報強者としてのエンゲージメントの時代がもう終わるということです。
 
情報端末にはためらいがないので,情報はあくまで患者に一方的に伝えられます。
 
プロフェッショナルが取り扱う対象は
情報から,解釈,認識,価値,葛藤に変わっていきます。
頭にエビデンスが入っているのが大事です。それを説明するだけの仕事の時代ではありません。支援者という立場で関与していく覚悟とおくゆかしさが必要です。
 
倫理的な視点とケアの視点を両方持っておいて欲しい
自分は何ができるか?ではなく,自分に何ができるか?
(常に一般論ではなく個人を対象に考えてほしい)
 
俺がこれからする行動はきっと失敗する。
ためらって触れることが大事。
 
 
6.昔と今では情報の扱い方がどう変わっているのか。
いままでは情報源が少なかったので,先生の言うことが正しい,テレビの言うことが正しいという考えかたであった。
ところが最近はTwitterとFacebookを今の若者は使い分けている。
Facebookは同じ価値観を持ったぬるま湯サークル
Twitterは誰が潜んでいるのかわからない魑魅魍魎の世界
これら2つのツールを分かりながら使っている若者は今までの世代よりも上手に情報と向き合うことができるかもしれないという期待がある。つまり自己決定に必要なあらゆる情報が氾濫しているという現代には若者の情報との関わり方が重要になっている可能性がある。
 
 
人はあらゆることに影響を受けているし,あらゆる情報を分析しているという前提で決定していく。そういう視点でSNSやっている人たちをみると,将来は明るいかもしれない。
 
(引用ここまで)
 
日常診療の全てのところに,臨床倫理とプロフェッショナリズムが関わっていると言っても過言ではありません。これらの気づきをこれからの臨床に活かしながら,常に自分が正しくないのではないかと思いながらも,患者の意思決定をサポートしていく必要がありますし,患者とそれを取り巻くAIなどの情報ツールが発達していくにつれて,意思決定に老いて我々が果たすべき役割は,少しずつ変わっているのではないかと考えさせられました。また聞いてみたい講義でした。
 
呼んでいただいた栃木と群馬の指導医の皆様,大変ありがとうございました。
またコラボしましょう!