南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.

An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

6年前の自分を振り返るープロフェッショナリズムについてー

6年前の自分を振り返るープロフェッショナリズムについてー

 

たまには、雑記をここに書いてみる。

自分の頭を整理するために活用させていただきたい。

 

医師4年目の私のFacebookの投稿を見つけた。

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若かりし頃の愚痴のような投稿である。いやただの愚痴である。

皆さんはこういう愚痴をSNSで発信してしまう経験はあるだろうか。

 

そもそも日付を特定できてしまうような投稿は、それだけでプロフェッショナリズムの守秘義務という問題があるので、この投稿自体が適切ではない(というわけで自分しか閲覧できない設定にして、この投稿も日付を分からないようにしてある。というか少なくとも公開しない方が良い。)

投稿を追っかけると翌日しっかり寝て気持ちが切り替わっているようなので、ぐっと我慢して「寝たら治る」と信じて耐えるという手もあるだろう。

 

今の自分の状態では、同じ状況になったら「患者さんの最善を考えて行動する」という考え方は残したまま、異なる行動を取るだろう。こういう時にhousekeepingの考え方が大事になるかもしれないが、それは別の機会にする。

 

今回の話は、そのような状況になることは減っているのかもしれないという話である

もちろん私がたまたまそういう患者の受け持ちが減っているだけなのかもしれないが、たとえば今でも電話はかかってくるのでその聞き方が変わってくると感じる。

 

例えば昔なら

「院内にいるなら、対応お願いします」
「時間外のアポなし病状説明希望をお願いします」
「夜間の死亡確認をお願いします」

と、こちらの都合を考えず来て当然だというスタンスで来ると結構しんどいが、この聞き方が

 

「勤務時間外なのにすいません」
「勤務時間外なので難しいですよね」
「当直医に対応していただきましょうか?」

となっただけでも、対応のテンションが変わるようだ。

 

これはコンサルトのレベルが上がったということと、私のライフサイクルを把握してくださっていることも大きいかもしれない。

 

例えば土日に出張が増えてくると、物理的に病院に行けない状況も出てきてしまい、そういう経験が徐々に浸透してくると、「来て当然」から「ありがたいことに来てくれた」に変わってくるのだろう。

 

この考え方になったきっかけは実はHANDS-FDFという人財育成の勉強会であった。実はそれまでは「患者がいるのに出張する方が悪い」「患者をないがしろにしている」という罪悪感があったが、自己研鑽のために病院から高額なお金を出していただき欠席が許されない研修を北海道ですることになりそこでたまたまプロフェッショナリズムの勉強をしているときに病院から「重症患者が急変したのですぐ来てください」と言われたのである。どこかで誰かが見ているのではないかというタイミングであった。

 

もちろん対応方法はカルテに記載してあったが、何でも自分でしたいという自分本位なプライドがあった。とはいえどうにもならない状況であったので、まず患者さんのご家族に電話を替わっていただき、途中で欠席になること。今抜けてしまうと1年の努力が水の泡になる研修であること。対応はよく理解されている当直の医師にお願いさせていただくことを説明し、理解していただいた。当直医には事情を説明し、記載の補足をさせていただいた。私が行くよりも迅速で手厚い対応をしていただき、自分一人でなんでも抱えることの危うさを自覚した。

 

プロフェッショナリズムについてはACGME(米国卒後医学教育認定評議会)でも明記されており、日本においても医学教育に組み込まれている。医師になる前に教育が必要とはいえ、医師になってからも事例ごとに内省する姿勢は重要である。

 

2019年に岐阜で行われたプロフェッショナリズム教育WSの資料を参考にする

http://jsme.umin.ac.jp/com/pro/2019MEDC71S&WS-report-pro.pdf

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私の中での大きな枠組みは

①対人的な視点

②社会から求められる視点

③個人の意識の視点

に大別される。

 

①の対人関係は、利他、誠実、奉仕、正直、リーダーシップ、チームワーク

②社会から求められる視点とは、責任、倫理、モラル、卓越した技能・知識、時間厳守、専門職としての態度

③個人の意識の視点は、リフレクション、フィードバックを受け入れる態度、生涯学習、道徳観、成熟、ストレスへの対応などが含まれる。

 

今回の対応は、根底にある医学的対応とコミュニケーション(引継ぎ)を前提に患者さんの家族に誠実に説明し、患者の立場に立った意思決定と説明責任を果たしたと自己評価したが、その対応についてフィードバックとリフレクションが大事と考え、以下の行動をとった。

 

後日、対応してくれた医師にお礼と対応で気になったことはないかを話し合い、「家族の反応は悪くなかったが、状態が安定していなかったのであれば出張に行く前にそのことをお伝えしていればもっとよかったのでしょうね。」とフィードバックをいただき、少なくとも重症患者を抱えつつも病院を不在にするときには、ご家族がベッドサイドにいなければ電話でもいいので、現在の状況と不在にすることをお伝えすることにした。

 

その後のメンターとのリフレクションでも、生涯学習もプロフェッショナリズムの柱であり、不在となった理由についても考慮する必要がある。同様のことがあれば責任感は持ちつつ責任はシェアするのがよいという話もあり、今後のプラクティスに影響を与えている。

 

実は電話をしてくれたナースやその病棟師長とも振り返りをしている。「医師がどこにいるか分からなかった(情報は申し送られているはずだったが確認していなかった)」「申し送りの確認よりも、直接聞いた方が早いと判断した。」「患者さんの最善を考えると何とかしないとと考えた。」「夜中でも休日でも電話にすぐ出てくれて飛んできてくれるイメージだったので、そうなると思っていた。」という個人間のイメージが大きく反映されていたため、看護師間の申し送りをもっと徹底することや、医師へのコンサルトも相手のおかれている状況を意識したり、自分の意見を踏まえた進言も必要という一般化された対応になっていった。

 

このようなことがあってから、職場で上司と話をしたり、同僚と持ちつ持たれつのケースが自然に増えてきて、徐々に負担を感じることが減ってきたように思う

 

こういうコンサルトの文化は、ルールで規制することも大事だが、ケースを積み重ねていくことが大事である。他にも「救急患者は断らない」「抗菌薬投与前には培養を取る」「血培は2セット」「院内急変には飛んでいく」「屋根瓦式教育の文化」「スペシャリストとジェネラリストに貴賎なし」などの文化が溶け込んでいるのも、おそらく指導医たちが自ら実践してきたからに他ならないそのような文化に自分も組み込まれており、影響を与えたり、与えられたりしているのである。

 

実は恥ずかしながらSNSでの投稿も後輩から優しく注意されたことがある。しかも結構最近の事である。個人情報に配慮するという極めて基本的なところが抜けている私も間違いだらけの人間なので、謙虚に受け止めていかねばならないと思うし、そのようなフィードバックを安全な場所でしていただいたことに今でも感謝している。本当にありがたい職場である。

 

プロフェッショナリズム教育というと大仰であるが、①対人②社会③個人の視点で振り返りつつ、このように指導医が専攻医の枠を超えて安全な環境でコミュニケーションを気軽にとれるようになりたいものである。