はじめに
終末期に在宅で死亡する患者を支援し、入院を防ぐことは、一般開業医や地域看護チームにとって重要な課題です。最近はターミナルケアにおいては場所を重要視しています。自宅での死亡は依然として政策上の問題であり、終末期の入院は「回避」、「予防」「不適切」と定義されがちでした。
ターミナルケアの提供において、在宅での専門的な終末期医療では、がん患者が病院でなく自宅で死亡する可能性があります。しかし、地域社会における専門的な終末期医療と入院の関係はまだしっかり検討されていません。多くの場合は瀕死の患者の状況の変化によって家族が「パニック」に陥る、または家族が絶え間なくケアを提供し自身の苦痛に対処することができない場合です。しかし、専門家によるケアと同様に、家族が病院でのケアを求めるようになる状況については考慮されていませんでした。
イギリスでは病院は自宅よりも死亡の多い場所です。入院が起こる理由を理解することは、終末期医療において患者さんや地方看護師が患者を支援するのに役立ちます。この論文では、在宅での終末期医療提供と医療従事者を利用した入院のケアとの間の関係、および以前に地域社会でケアされていた患者が何故急性期に入院するのかを検証しました。
方法
データは終末期病院入院を調査した大規模研究からのものです。生命の終わりというほどではなく病院に入院している理由について調査しました。インタビュー(n=33)はヘルスケアスタッフと、入院3日以内に亡くなった患者の近親者とともに行われました。
在宅での死亡が、終末期入院を減らすことに繋がっています。この研究では、在宅での終末期ケアが不安定になるか可能性があり、介護や家族の支援がない場合に、入院が容易になる可能性があります。病院での死亡は、自宅で適切な介護がなされず死に場所として適切でない場合に選択され、患者も介護者もスタッフにも利益をもたらします。インタビュー対象者は、地域医療従事者(GP)、患者の家族です。
Table1は参加者の職種です
入院は、患者、家族などの介護者、GP、救急スタッフによって促されました。
患者の自宅での死亡は望ましいものでしたが、医療従事者は患者さんの治療場所がかなわず死も終末期医療を受けたり死亡する場所としては適切であるとは感じていませんでした。
自宅死の促進は望ましい
全ての医療者から支持されました。在宅死は、親しみやすく、安らぎ、愛する人の存在もあり、患者の好みの実現もできると概念化されました。実現困難であったとしても、自宅で亡くなることは望ましい事だという事は理解されていました。
私は患者さんは家で死ぬことができるはずだと思っています。高齢者や末期患者の大部分は家の外で死にたくはありませんが、一般的な恐れや家族による自身の欠如もあると思いますし、リソースも必ずしもないと思います。ですから、家族を支えるのに役立つ資料があればそれは良い選択肢になると思います(GP 10,9)
フォーマルなケアの重要性
在宅死への願望があるにもかかわらず、必ずしもそれは望ましいケア場所ではありませんでした。その要因は患者のニーズに対処するのに十分な在宅ケアがない事でした。介護提供者による病院の有用性が認識されました。地域のスタッフは、患者が適切なケアを受けられるように入院を促進することを述べました。
私たちが地域社会で苦労しているのは、死を管理するための資源です。 予告なく苦労することもあり、ホスピスのようなもののベッドの空き状況に依存します。ベッドが空いていない場合、身動きが取れなくなります(GP 15,7)
看護提供の有用性と適時性
地域看護は高い評価を受けていたが、短期間のうちにそれを利用できないことは重要な問題でした。患者の状態が急速に悪化した時、または予期しない症状を経験しているときに当てはまりました。
地域ケアは家族によるケアで補完されていました
在宅での終末期ケアの問題も家族ケア提供に関連していました。患者が家族から多くのケアを必要とする場合、入院が求められる傾向にあった。典型的には患者の死のための準備ができていない、患者の負の描写がみられました。
主な問題は、家族が自宅で管理することができなかったことと感じました。自宅であれば介護支援も明らかに沢山必要になり、入院の方が適切であると感じました。(GP 10,5)
家族が介護を続けたくなかったために入院が求められた理由を理解するためには、家族の介護の役割を探る事が有用でした。ここからは、家族の介護者の経験、身体面、経験への要求について検討します。
介護を提供する経験について
家庭での家族介護の提供は、一部の介護者が死亡し、終末期医療を受けた経験が限られているために危険である可能性があります。医療従事者にとっては家族の介護者が死ぬことを考慮することは家庭での死亡の可能性を防げると考えました。介護者は救急やや時間外サービスに助けを求め、病院で満たすことを勧められ、入院になると考えていました。
私たちは終末期医療について話をしていたようですが、おそらく好ましい場所について話をしていなかったか、家族が死に至るまでの最後の段階に十分な準備ができていなかったのでしょう。(Dr 14,1)
家族の世話をする人にとって、経験が浅いことは、特にプロと比較して、ケアの質に対する懸念として表明されました。入院の理由として家族介護者によって引用されませんでした。
患者が病気でいる限りは病院は最高の場所であると考えていますので、病院で最期を迎えて欲しいです。私は医療サービスのすべてをあまりしならない。看護師ではないので、看護師と比較してどれほどうまくやれるか分かりません。
包括的なケアについて
死にゆく親族を支援する事は、しばしば家族介護者による時間と資源を消費します。これが家族介護者に与える影響は家族介護者の健康に悪影響を及ぼすことがあり、介護ニーズが介護能力を超える可能性がありました。
夜中まで介護であまり眠れませんでした。家族が全員徹夜でした。
身体的な欲求
身体的に要求が厳しいと認識されていました。特に介護者が虚弱や高齢者であり、健康が悪化して支援が必要な場合に、家族介護の提供を困難にする可能性があります。自宅で患者を継続的に維持することは難しく、病院を含むほかの場所での介護の有用性を認識していました。
老夫婦のところを尋ねると、彼らは床の上で2人で過ごしていました。彼女は彼をトイレに連れて行こうとしていた。
自宅で快適に過ごすための最善の方法についての不確実性(ニーズや自宅の介護支援が不足していた)がありました。
例えばあなたが高齢の配偶者を持っているときに、あなたはどのように家にいる間に起こりうる死を支持するかについて十分に知っているとは思えません。
在宅患者のケアについて
適切な死亡についてのスタッフの期待に応えるような方法で患者が自宅で死亡することを保証することは容易ではありませんでした。GPに会うのが困難で、入院をは早める可能性がありましたし、たくさんの道具が必要です。そしてGPは患者が家で死ぬことを希望していて、それを実現することに全力を尽くします。
討論
・終末期の入院は、在宅で終末期医療を提供するうえでの課題がある結果生じる。
・例えば、看護提供が不十分、家族介護者の負担、場所としての望ましさの不足など。
・本研究は終末期の入院に関する限られたエビデンスに基づいて有益であります。
・在宅での死亡の望ましさが推定される方針や臨床的背景において、在宅での終末期医療の実用性に考察が加わりました。
・33名の医療従事者と9人の患者であり、入院理由をどこまで説明できるかを考えると一般的な終末期に当てはめることが困難かもしれません。
・例えば専門家や家族のケアに問題がある患者さんの中にも在宅のままで病院のケアを求めない方もいました。
・しかし、終末期医療を提供する際に、医療スタッフと家族介護者が直面する課題は、既存の研究結果と一致し、入院が起こる理由の理解に貢献しています。
・衛生面のサポートや飲食などのケアについては規定していません。というのも食事や衛生は家庭で容易にすることができるため研究の範囲外としました。
・対象者が終末期近くの患者に入院を促した理由として、在宅看護ケアの利用可能性と能力の限界があげられました。
・家庭での死を促進するうえで、家族介護を提供することの重要性は十分に確立されています、それが耐えられない場合はGPが入院の理由について支援し、患者のための病院電ケアを求めることができる。
・インタビュー対象者の中には、実践的ケアを提供している家族が、専門家によるケア提供を補完する重要な支援者となっていることが分かった。
・多くの場合は、虚弱高齢者の不自由な人のため、家族の介護者がケアを維持し入院を防ぐためには、補足的な支援が必要と思われます。
・在宅での終末期医療の促進は、在宅での死の望ましさについての考え方を反映しているプロフェッショナルでも明らかに重要なことですが、自宅でも安全性が損なわれる可能性があることが分かりました。
・ホスピスや居宅介護施設にアクセスする際の課題としては、病院ケアが優先されることでした。
感想
家族と専門職の病院看取りと在宅看取りについての考え方の質的研究でした。在宅は病院よりも終末期ケアを受けるには本質的には良い場所であると考えられている反面、現実は危ういという事がわかります。国策として在宅看取りを推進していくのであれば、このような患者や専門職の不安にも焦点を当てて、在宅サポートだけでなく、ホスピスなど在宅以外のサポートも充実させることが必要であるはないかと思います。
また、医師が十分な情報を提供することも、患者や家族の安心につながるようです。適切な状況を提供し、不安に寄り添う事が必要になりますし、家族のケアの質にフォーカスを当てるだけでなく、我々のケアの質自体や心の動きにこそフォーカスを当てて省察的に実践していくことが重要なのではないでしょうか。