南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。

富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

タイヤ替えながら人生会議しようと思ったができなかった先延ばし息子の話

タイヤ替えながら人生会議しようと思ったができなかった先延ばし息子の話

 

いち個人の勉強ブログなのであまり炎上しないような当たり障りのない内容しか書いていないつもりですが、個人的には大きな学びになったお話をさせてください。

炎上したくないので、ある日突然消すかもしれません。あしからず。

 

そろそろ雪が降りそうだという事で、冬用タイヤを実家で交換してきました。

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写真はイメージです。こんなにギザギザはありません。

 

実家は農家で大きなガレージがあるので、そこで父にタイヤを交換をしてもらい、母から沢山の自家製野菜とコシヒカリや煮物などをいただき、良い時間を過ごせました。実家は楽だなぁ。

 

実は行く途中の車の中で「人生会議」のポスター問題を思い出していました。

ニュースにも取り上げられていたので、大きな話題になっていたと思います。

 

これは2018年11月30日に厚生労働省から発表があったのですが

人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組みを「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」というのですが、その愛称が「人生会議」に決定しました。

 

ちなみに愛称募集は2018年8月13日から9月14日に実施したもので、応募総数1,073件の中から、愛称選定委員会により選定されました。

 


この動画は人生の最終段階における医療・ケアについて考えるきっかけとなればという想いでオレンジホームケアクリニックのYouTubeで公開された動画です。このオレンジホームケアクリニックは今回の「人生会議」の選定委員でもある紅谷浩之先生が開業された在宅医療クリニックです。

 

紅谷先生は人生会議という言葉を選んだ選定委員をされており、人生の最終段階に誰と何処でどのように過ごしたいのか、大事にしているものや価値観を大事な人に伝えたり、医療者と一緒に考えていくプロセスをうまく表現されているなと感じていました。

 

実は紅谷先生と私には大きなつながりがあります。

私が医学部6年生だったときに紅谷先生のおられた病院で7週間地域医療の実習をしていました。

(写真の最後列左から2番目が私、その右側に紅谷先生)

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家庭医という言葉を全く知らずに将来を考えていた私に、家庭医という働き方を私に教えてくれた方で、彼に会わなければ家庭医にはならなかったであろうお方です。 

紅谷先生は覚えていないかもしれませんが飲みに連れて行ってもらったこともありまして、「いつか在宅医療のクリニックを開業する」と夢を語っておられていたのも良い思い出です。

 過去に、こんな記事を書いているのを思い出し、紅谷先生の名前がないか探しましたが載せていませんでした。この文中に出てくる家庭医は紅谷先生です。毎日どんな実習をしたのか振り返りをしてもらい、2人しかいない学生に家庭医療のコアレクチャーを毎週してくださったのは、今考えても大変贅沢な時間でした。

 

話を戻します。

以前そういう話題をしたときにも、父から「縁起でもない。そんな話はするな。」と言われたので、倫理コンサルテーションチームに属する医者がいう言葉としてはどうかと思いますが、なあなあにしていこうと思っていました。発言の意図は計りかねますが、時が来たら言ってくれるのかなと思っていました。

 

そもそも「タイヤ交換しているときに聞く事じゃないな…」と思い直し、世間話に軽く近所であったお葬式の話でもしたりするぐらいしかできませんでしたが、元気そうな両親をみて、とりあえず今回も保留にしておこうと思った次第です。

 

とはいえ、もしも、このままなあなあにしていて、急に意思決定を迫られた時に「最期はどうやって過ごしたいのかな」と悩むんだろうなと思うこともあるかもしれません。私はそうなったらどう判断するんでしょうか。自分で言うのもなんですが、終末期の患者さんに在宅や病院で色々関わってはいると思いますが、それはそれは悩むと思います。あぁなんで話し合っておかなかったんだろうと後悔するかもしれません。でもむしろ悩まずに「あの時こう言っていたから、〇〇でお願いします。」なんて軽々しくも決められないと思います。むしろギリギリまで悩んでいることも家族ライフサイクルの健全なプロセスなのかなと思います。

 

最期の最期を具体的にイメージしたら気分が落ち込むと思います。少なくとも私はそうです。人はいつか死ぬとか聞こえのいいことを言っていても、私は少なくとも死ぬことはイメージできません。どんなに想像力を膨らませて、シミュレーションを重ねても、自分がどういう病気になりどんな最期を迎えるか、その時に子供や妻は何をしているかなんてイメージできないと思うのです。自分の事だけを考えるなら漠然とイメージできると思いますが、いつの事なのか、家族メンバーはどうなっているのかはその時にどう思うかはその時になってみないと分からないと思います。ACPがなかなか進まないのは、死を忌み嫌う、先延ばしにしたいというところもあるのかもしれません。

 

では、その時にリクエストが周囲に伝えられないというシチュエーションになったらどうしましょう。例えば、しゃべれない、うまく伝えられない、認知症の末期状態や、急な事故で意識がない場合などです。

 

そこで思考停止になるのではなく、いざという時に意思表示ができなくなるかもしれないので、自分がどんな価値観を持っているのか、ぐらいは知ってもらっておいた方が良いとは思います。これは、元気な人用のACPです。

 

なぜあえて、元気な人用のACPと書いたのか。

この話がかみ合わなくなるのは、ここなのです。

 

確かに最期の最期で話題になるACPは、具体的な決定を必要とされるかもしれません。

「人生の最終段階の医療ケアの決定プロセスに関するガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000197721.pdf」を読んでいただければわかりますが、本人の意思の確認ができる場合、できない場合でどうすればよいかのプロセスが書かれています。名称がAdvance care planningというぐらいでプランし続けるプロセスが大事なので、その時に納得がいくような決定ができるように考えるのが、最終段階のACPです。

 

ですが、それを元気なうちに具体的にイメージしきって、その時にはこうしてほしいという具体的な希望はとても考えられません。あらかじめ、最後の事を考えた方が良いというのは、元気な人には無理難題なのです。

 

ではどうするか。せめて元気な方は、やんわり好みや価値観を伝えて、具体的な決定はかならずしもする必要はない、ぐらいの気持ちでゆるーく考えるのが良いのだと思います。私はそういう話は家族会議で行われていると思っています。あくまでそんな感じのイメージです。

 

ここで決定するときに陥りがちなのですが

「私は○○して欲しいと思う」患者さん以外のメンバーの希望と本人の希望がごっちゃになっていることがあります。もちろん他のメンバーも残されたものとしての願望もあると思いますし、価値観が全く合わない場合は大きなずれを感じることと思います。家族全員が同じ方向を向いているわけではないので、それは仕方がないことだと思います。

 

そういう時は、「本人ならどういう選択をするだろう。」という視点で一度考えていただく事にしています。もちろん、納得できないこともあるかもしれません。ですが、当事者である本人の想いを尊重してあげられるような決定を医療者も含めて皆で考えていくのが「最高とは言えないかもしれないけど、まぁまぁいい決定をしたね」と言えるために大事なのかなと思います。

 

うちがそうなのですから徒に死をほのめかして心配させるような話題に触れられない家庭もあるということも良く理解できます。そういう話題を無理にしなければならないというのではなく、その時が来たらやんわりと話題にできそうな共通言語になるようなものができたという意味では「人生会議」のポスターも意味があったのではないかと思います。

 

つまり

元気なうちのACPは、大事な人にやんわりとした好みや価値観をニュアンスだけでもいいのでちょこっとでいいのでわかってもらおう。決定しなくても大丈夫。

いよいよという時のACPは、具体的にどうしたらいいのかを考えた方が良い。その時にどうしてほしいのかは、どうにかこうにか頑張って伝える(手段は何でもいい)、あるいは、それをみんなで頑張って想像して考えるプロセスが大事

 とざっくり思っています。

 

平成 29 年度厚生労働省委託事業 人生の最終段階における医療体制整備事業

https://square.umin.ac.jp/endoflife/shimin01/img/date/pdf/EOL_shimin_A4_text_0416.pdf

これからの治療・ケアに関する話し合い -アドバンス・ケア・プランニング -

という資料が、大変使いやすいのですが

これを全部埋めようと思わないで、この内容について誰かにちょこっと伝えるだけでもしてみたらいかがでしょうか。

逆にそう言われたら「なんでそう思うの?」と聞いてみると、相互理解が進むきっかけになると思います。

 

賛否両論あるポスターですが

Twitter上では#人生会議 #勝手にポスターというハッシュタグが流行っています。

すでに思い思いのACPを訴えかけているので、今回の騒動は効果があったと思います。 

 

私も小藪の表情をあれこれ言うツイートをしていますので偉そうなことは言えませんが、 その流れで新しいポスターがポコポコわいてきているというのは面白い流れだなと思います。

 

帰りがけに、禁煙をしたことがない父が2週間前から禁煙していることを教えてくれました。家庭医の父親が喫煙しているって、行動変容とかよく語れるなと思われるかもしれませんが、肉親だからこそ言えない関係性でした。だからこそ、その意外な行動に驚き、息子に言えない病気になったんじゃないかと勘繰るところもありましたが、きっと何か思うところがあったんだろうと思いなおしました。人間の考え方はどこかに軸はあるものの案外変わったりするものです。そんな心の移り変わりを家族として眺めていきたいと思います。

 

我が家の「人生会議」は今後もこんな調子でのんびり進んでいくのだと思います。

我が家らしいなぁと思いながら野菜とお米をのせて、びしっとタイヤ交換された車に乗って自宅へ帰る先延ばし息子なのでした。