南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。

富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

ミニ・エスノグラフィーから学ぶ臨床学術的アプローチ 異質馴化/馴質異化を他者理解と省察的実践へ応用する

第17回 日本プライマリ・ケア連合学会 秋季生涯教育セミナー

WS28 ミニ・エスノグラフィーから学ぶ臨床学術的アプローチより

 

最近、趣味丸出しの論文紹介になっている。

このままではMultimorbidity大好きおじさんである。

ここをご覧の皆さんも少し飽きているのではないだろうか。

今回は少し角度を変えて、臨床・教育に役立ちそうな話題をさせてください。

 

皆さんはエスノグラフィーという言葉をご存知でしょうか?

エスノグラフィーは、英語でethno(民族)、graphy(記述したもの)の2つの単語からできた言葉です。民族誌という訳をされ、文化人類学や社会学、心理学で使われる研究手法の1つです。 もともとは、対象となる部族や民族の「文化」における特徴や日常的な行動様式を詳細に記述する方法のことを指します。

 

もともと西洋の社会科学から生まれた言葉で、植民地時代、ヨーロッパ人が南米やアジア、アフリカ、オセアニアの統治のために、現地の人々をより深く理解しすることを目的として使用されました。

 

具体的には、観察者がコミュニティに入り、現地の人たちと一緒に暮らし、彼らの言葉だけでなく、行動のひとつひとつに隠された意味を探り、問題を解決することを目的としていました。

 

1920年にブロニスラフ・マリノフスキーが「西太平洋の遠洋航海者 (講談社学術文庫)」紹介されています。イギリス人の彼はトロブリアンド諸島というニューギニアの島々で24カ月にもわたるフィールドワークを行い、「クラ」と呼ばれる島独自の交易を発見しました。人類学におけるフィールドワークの重要性が確立されました。


Malinowski on the Kula

クラの中での交換の品は赤い貝から作るソウラヴァという首飾りと、白い貝から作るムワリという腕輪です。 いずれも大規模な儀式的舞踊や祝祭などの重要行事で身につけられ、日常の装飾には使われません。 ソウラヴァはクラの交易圏内を時計回りに動き、ムワリは反時計回りに動き、それが1周するのに2~10年かかります。ソウラヴァとムワリの交換には詳細な宗教的、儀礼的な規則があります。これらに実用的意味は一切ありませんが、高級なものを所有することで名誉が得られるという文化がありました。

「ムワリ」の画像検索結果

クラ交易とはなにか?【クラ交易とは】交換の意味から互酬性の概念までわかりやすく解説|リベラルアーツガイドより

 

そのため、彼らは命がけで海を渡り、隣の島々とクラを行っていました。島を渡ると、相手の島から歓迎され、その島で一番良いものがもらえます。歓迎する側は相手が何をくれるかに関わらず最高の品を与えるのです。そのために、人々(男性)の「気前の良さ」を競うことになります。これはこのことを観察したマリノフスキは、これが経済的活動ではないことを発見し、西洋と全く違った価値観で動く「他者」の存在を発見しました。

『クラ・島々をめぐる神秘の輪』より引用

 

結構脱線していますが、別の例も紹介します

ウィリアム・F・ホワイト(William Foote Whyte)『ストリート・コーナー・ソサエティ』(1943年)によると、イタリア人系移民とその子弟からなるスラム地区の街角にたむろする非行青少年集団の生活は定量的な社会調査ではわからないため、レストランを経営するイタリア系アメリカ人の家に一部屋を間借りし、後に調査地にアパートを借りてイタリア系移民のコミュニティーに出入りしフィールドワークを行いました。

3年半にわたる調査の結果、ホワイトがたどり着いた結論は、「スラム地区といえば崩壊したコミュニティだと言われがちですが、組織化されていないということではなく、周囲の社会組織に調和させることに失敗している」ということが分かったそうです。

少年たちはボウリングのスコアで秩序が作られていたというエピソードなどもあり、非常に面白いです。

 

「私はボウリング場ですごす土曜の夜を、単に私と私の友人たちのレクリエーションとみることにした。私はボウリングをエンジョイするあまり、時々私の研究を怠っているのではとちょっと罪の意識を感じたほどである。私が仲間とボウリングしたのは、彼らをインタビューしたり、重要な事柄を観察できるような社会的位置を確立するのが目的であった。しかしこの重要な事柄とは何であったのか。私はこの統計の宝庫を捨てると、突如として定期的なボウリング場の試合での仲間たちとの行動こそが、私が観察すべき完全なモデルであったことに気づいた。他の何かを観察するためにボウリングをする代わりに、ボウリングを観察するために、ボウリングをすべきであったのだ。私は仲間たちの日常の決まった活動こそが、私の研究の基礎データを構成するのだ、ということも学んだ。」

ウィリアム・ホワイトの『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読んで | ニュータウン・スケッチ

 

さて、そんなエスノグラフィーの具体的な活動はどのようなものでしょうか?

  1. 参与観察を含む調査をする。
  2. 調査結果を記録する。(フィールドノートを作成する)
  3. 記録を読み返し、考察する。
  4. 作品としてのエスノグラフィーを書き上げる。

重要なポイントとして

エスノグラフィーの目的は文化の翻訳(解釈)interpretation of culture 

すなわち、ある社会・文化に属する人々によって、ある特定の事象(行動や出来事、事物)がどのような意味を持っているのかを、その社会・文化に通じていない人々にとっても理解可能となるように記述することです。

 

そこで必要なスキルとして

異質馴化/馴質異化(”Making strange familiar, familiar strange”)

というものがあります。

異質馴化は一見奇妙であるような他者の行いを理解する

馴質異化は自分の「当たり前」を括弧に入れる

という考え方であり、これが解釈的実践にも役立ち、事例を省察することも役立つかもしれません。(後述します)

 

他の方法は

①参与観察(participant observation)

調査対象となる人々(集団、コミュニティー)の活動に参加・関与しながら観察することです。調査対象者の行動を観察して記録するだけではなく、できるだけ調査対象者に近い立場でいろいろな経験をします。自分の「当たり前」を括弧に入れ、調査対象者の視点から物事を理解しようと試みることのようです。

②フィールドノート

現場メモと、調査活動の結果をまとまった文章の形で記したもの(清書版のフィールドノート)に分けているのも特徴です。

(参考)ジャーナリストはフィールドノートを1冊にすべて記載するようですが、エスノグラファーは現場メモと清書を分けて書くことで、参与者と観察者としての二重の役割を果たしているとともに、記録者と解釈者としてのフィールドワーカーとしての二重の役割も果たしているのです。

 

すなわち、エスノグラフィーは異質馴化と馴質異化、他者理解と自己省察を行うための技法といえます。

 

さて、省察的実践という言葉を聞きなれない方もいらっしゃると思います。

「ドナルドショーン」の画像検索結果

ドナルド・ショーン - Wikipedia(1930-1997) アメリカの哲学者

専門職教育はこれまで、技術的合理性の視点で、専門家になるということは理論的知識を学び、それを応用するための手続きやルールを学ぶものだと考えられてきました。

ところが、ショーンは専門家になることを「経験や省察を通じて手続きやルールに還元できない技能やわざを身に着けることである」として、実習など現場に近い状況での教育を重要視しました。

具体的には、決まりきった問題を解決するのではなく、クライアントや状況の個別性の複雑な状況に対応するような専門家になるために、自らの技能の在り方や限界を認識したり、修正したりする(省察)ことができることを省察的実践家(reflective practitioner)としているのです。

 

具体的には藤沼先生のブログをご参照いただけると幸いです。

fujinumayasuki.hatenablog.com

「reflection in action on action knowing in practice 省察」の画像検索結果

実践知であるknowing-in-practiceは実践を通じて技能やわざを駆使することです。

そこで予想しない出来事が起きた時に

実践内省察reflection-in-action、すなわち実践をしながら、困難に直面した時に、問題設定、解決策の導出、解決策の実施に関する既存の枠組みを見直し、新たな解決策の創出と実践を行うことを行います。

その後、ひと段落してから実践についての省察reflection-on-action:過去の実践を想起しながら、自らの実践知、実践内省察の枠組みについて考えることを経て実践知knowing-in-practiceを積み上げていくのが省察的実践家の姿といえるのです。

もちろん、このステップは一方通行ではなく、in actionから実践知を積み重ねてもよく、in actionでははっきりしなかったものをon actionで振り返ることで実践知を得ることもあるわけです。

 

さて、省察的実践者とエスノグラファーの相違と共通項がありそうなことがわかります。

相違点は

省察的実践者としての医療従事者は、問題解決を志向し実際的活動をする

エスノグラファーは事象の理解を志向し、研究を行います。

共通項は

省察的実践のスキルとエスノグラフィックスキルには共通性があり

省察的実践者とエスノグラファーは協働して実践について省察を行うことで、実践知や実践内省察についての省察的実践=研究を行う

ということになるのではないでしょうか。

 

ここでまとめに入ります。

①我々医師は他者について記録し報告する存在です。

例えば他者について記録し、報告するという点では、カルテ、ケースカンファレンス、ポートフォリオなどの記述を行い、プライマリケアにおける多職種カンファや家族カンファでは患者や患者の家族について医学的知識や医師としての見方を共有していない読み手や聞き手にもわかるように報告することが求められます。

 

一方で医師は

②省察的実践をする存在でもあります。

つまり、自らの実践知や実践内省察について省察し、プライマリケアの個別性や複雑性に対応するために、ときに自己の「当たり前」を括弧に入れ、新たな仕方で問題設定や解決策を案出し、実践する必要があります。

 

これぞ、異質馴化/馴質異化の考え方なのです。

 

実際に私は事例提供者として参加しましたが

①事例提供一つを例にしても、どのような点に気を付けると読み手や聞き手によりよく理解できるように提示するかという点でも異質馴化/馴質異化の考え方が活かされます。

例えば、病気の説明も、医療関係者ではない人にもわかるように、さらには子供でも分かるように、もっというと宇宙人でも分かるようにというようにレベルを上げていくと、無意識に理解したつもりのものを疑ってみることにもつながりますし、より正確な記述は、時間が経過した後の自分が読んでも理解できるものになっているはずです(昔の自分の理解はは他人と同様であるという言葉もあるようです)

 

②事例についての考察でも

「他者」(患者やその家族)の奇妙に見えたり、不合理に思えたりするような発言や行動には、実は道理があるのではないか(異質馴化

「自己」の「当たり前」を括弧に入れて、新たな見方ができないかどうか(馴質異化

つまり、不合理な行動に道理はないのか、当たり前をはずしてみると見方が変わるのかという視点が盛り込まれていました。

 

私なりの気づきでいうと(雑多なメモで恐縮です)

・特定の疾患(例えば糖尿病)の患者というラベリングも馴質異化であるかもしれない。きっとこういう気質だろうという先入観が、会話のずれを生むかもしれない。

・バイアスという言葉自体も、医者の視点に過ぎない。馴質異化の考えで言うと、患者が医者を見るとどう思うかという視点も重要になる。(安易にバイアスという言葉を使わない)もしバイアスをなくそうと思っているのであれば、そうではなくどんなバイアス化を徹底的に確認して、正しく使う必要がある。

・他者理解のために、仕事の話をするとその人の理解が深まるかもしれない。患者さんの価値観を探るという行為が、承認につながり患者の自己肯定感につながったり、医師のアンガーマネジメントにもつながるかもしれない。相手に興味を持つことが大事。

・生活習慣病のエスノグラフィーの視点も重要である。あくまで病気の先輩として探っていく姿勢は謙虚な姿勢を生み、相手への尊厳を保つことにもつながる。

・医療者はえてして健康第一主義であることが多い。患者は決してそうは思っていないという視点を忘れると、ずれが生じる。そのずれを自覚するだけでも患者理解が進む。

・医師は経済的価値・仕事の価値・生活の価値がずれていることが多い。同じ金額を聞いても、高いと思っているのか安いと思っているのかは確認しなければかみ合わない。

・複雑性や個別性が高いもの、不純なものを歓迎しよう。

・1つのパターンに当てはめる言葉に注意。本当にその言葉は適切なのかを自問自答するべし。

・とはいえなかなか個別化できない要因として以下の4つがある。

  1. 一般的なステレオタイプワードでまとめて思考停止してしまう。
  2. 診断のため、安全のため、検査のためなどプロであるがゆえに見逃してはいけないことを理由に個別化できなくなる。
  3. 圧倒的な感情で疲れてしまう。
  4. 当たり前すぎて前提せずに省略してしまう。

 

文化人類学の視点は、省察的実践にも役立ち、状態の正確な記述や患者や多職種の理解にも役立つかもしれない。という非常に有意義なWSでした。

家庭医療カンファレンスや自己省察、専攻医の振り返りでもぜひ実践していきたいと思います。これをご覧になった方も、ご活用いただければ幸いです。