Interpretive medicine: supporting generalism in a changing primary care world.
前回の投稿で
GPには少なくとも3つの働き方があることを紹介しました。
①オールラウンダー型GP:領域別専門家の幅広いニーズに対応できるコンサルティングスキルの専門知識を有するGP
②special interest型GP:専門的なコンサルティングスキルといくつかの専門知識を組み合わせた、関心領域を持つGP
③expert generalist practice:各個人のニーズを明確に定義し対処するために、解釈的実践を行う卓越したGP
GPの評価は専門医のレベルかどうかという問題だけでなく、オールラウンド型GPの役割からexpert generalist practiceの役割に進化させる必要があるというお話でした。
そこで今回はジョアン・リーブ教授によるInterpretive Medicineの紹介です。
藤沼先生のブログを先に読まれたらそれで十分かもしれません。
藤沼先生の唱える「人の生活ルーチンは自己/主体の一貫性の根拠となる。病気になりルーチンに支障が出ても、それをなんとか「創意工夫」する力をCreative Capacityと呼び、病いのなかにある主体を、単に病み、弱っていく主体ではなく、クリエイティブな主体、Creative Selfとして支援することが、患者の主体へのアプローチである。それを患者自身がきづいていないこともあるので、自己の一貫性を保証する日常ルーチンを医療者ととともに探索し、その意味を見出していくことがInterpretive Medicineの実践である」というのは結構浸透しているのではないでしょうか。
実はこの論文は北海道家庭医療学センターのジャーナルクラブでもつい最近の2019年の8月のアーカイブに取り上げられていたようです。家庭医療の有名施設でも同じ文献を取り扱っているというだけで勉強意欲がわきますね。
https://www.primary-care.or.jp/imp_news/pdf/20160721.pdf
でもp8に取り上げられていました。(2012にPCに保存して読んだはずなのに、さっぱり覚えていませんでした。)
(引用)Trisha Greenhalgh教授は「ジェネラリストの知識は、部分よりも全体、そして構成要素や事実よりも関係性やプロセスを捉える視点で特徴づけられる。そして問題をどのように、どのレベル(個人、家族、システム)で考慮するかについての思慮深くコンテクストに特異的な決定で特徴づけられる」と述べている。ここで欠かせないのが解釈的医療(interpretive medicine)の考えである。それは、個人およびその個人が世界にどう対処しているかに、最初からそして定義上、焦点を当てた関係性を確立することである。これは人間を扱う専門家である職業人による「伝記的」な視点である。これは、洞察の共有を発展させるという意味で治療的になりうるラポールの確立を伴う。これは、理解/知識、感情適応力、あるいは検査と治療選択肢の意思決定に関して、個々人を前に進める可能性を持つという点で促進的かつ啓発的である。総合診療においてこれは常に良い診療の中心的要素であった。
Dr Peter Toonは委員会への提案書で以下のように述べている:
解釈的機能は総合診療の中核であり、そうあるべきものである。なぜなら、人々が彼らの病気や障害を理解しそれらを持って生きることを助けられ、それらを彼らの人生のナラティブに統合し、そして彼らに利用可能な選択肢の範囲内でこれを繁栄のナラティブにするのは、この働きを通してである。
この文献を読むだけでも解釈的医学がなんとなく理解できそうですが、原著を読んで確認していきたいですね。
pdfで32ページですが、全訳ではなく省略しながら進めていきます。
要約
患者中心性はGPの核となる価値です。これは個人の全人的なケアを支援する対人プロセスとして定義されます。これまで、患者アウトカムと患者中心性の関係を実証する努力は期待はずれとなっていましたが、一部の研究では価値が現実よりも誇張した結果である可能性が示唆されています。患者のコンテキストの問題は、患者中心の医療面接の質に影響を及ぼしアウトカムにも影響を与えます。知識やエビデンスの合理的な活用は、現代の診療の決定的な側面であり、患者中心性にも影響を及ぼします。
文献の批判的吟味・経験的研究および臨床実践からの考察に基づいて、個別化されたケアを適応する現在のモデルを批判します。エビデンスに基づいた医学(EBM)、および健康政策における科学的官僚医学(Scientific Bureaucratic Medicine:SBM)の実施は、臨床経験よりも科学的知識を上にする認識論的強調の観点から最良のエビデンスを定義します。それは、その知識の確実性の定量的推定を含む、病気の客観的な知識を提供します。
疾患の専門家と、選択された集団のエピソードケアに関しての診断や治療について二次医療に紹介する際には従来のモデルは適切ですが、多疾患で複雑で動的で不確実な性質を考えると、総合診療へ従来のモデルの適用は疑問視されます。
私は、総合診療は解釈的医療(IM)のモデルによってよりよく説明されることを提案します。解釈的医療とは、個々の病気の経験の動的な共有された探求と解釈における適切な範囲の知識を批判的、思慮深く、専門的に使用することです。個人の日常生活を維持するために、個人の創造的能力creative capacityをサポートする能力です。
解釈された知識の生成は日々の総合診療に不可欠な部分であるが、その専門性はこの活動が外部から適切に行われたと判断できる適切なフレームワークがありません。質的研究分野での解釈および知識生成における品質の認識に関連する理論を利用して、ジェネラリストや解釈的臨床診療から発生した知識の質を評価するためのフレームワークを提案します。
このモデルを更に発展させる研究のための3つの優先順位を示す。またそのことが総合診療の重要な要素を強調し維持し、地域の健康ニーズを促進し支持するのです。
①個人の創造的能力creative capacityを測定する
②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する
③暗黙知の信頼性を確立する
序文
Reeveは世界を記述し予測する実証主義科学には限界があることを認識し、GPは患者の個別の評価と管理において様々な知識を使用する能力をサポートすることが求められるとしています。例えば病気の経験に基づいて、個人と共有された意思決定プロセスにケアのプロトコルを適応すると困難な問題がみられますが、そこにGPがプロトコルを超えた重要な役割があることを特定する手掛かりになります。
患者は病気を有するだけの存在ではなく、GPが疾患に関連する境界があいまいで複雑な状況でも決定を下すことができます。これは経験している結果として生じる病気を確立させ管理するときに重要になります。患者の身体的、心理的、社会的、精神的状況の観点で進行中のナラティブを考えることは自己の性質に関する重要な事であります。
前書き
総合診療では、個人に対する、個人的、全人的、生涯にわたる包括的ケアの提供を重視しています。実際にはコンサルトや対人スキルの焦点を当てられていますが、現行の疾患モデルが批判されない限りその価値は分かりません。解釈的医療(IM)の新しいモデルを提案し、その継続的開発と応用を強化するために必要なコアコンポーネントを概説します。実践できるための臨床及び研究の優先順位を特定することが今回の目的です。
総合診療のはじまり
現在の総合診療ではEBMとSBM、二次医療モデルから派生した知識とエビデンスの合理的な使用がなされていました。実際エビデンスの多くは二次治療(疾患中心の専門モデル)の研究に由来しており、プライマリケアではそのアプローチを分けて考える必要があります。
プライマリケア医が、プライマリケアだけでは診断も治療もできない病気の原因を疑った場合、二次医療である専門医に紹介します。そこで治癒すると患者は退院しますが、治癒しない場合、別の専門医に紹介され、最終的にGPに戻ってきます。病理学的疾患モデルは病気が正常からの生物学的逸脱に起因することを想定しており、異常を修正すると健康が回復します。このモデルは病気の状態の客観的な尺度の開発に役立ち、EBM、SBMのモデルで使用されている知識のパターンです。
対照的に想像診療では、分類・定義できない病気の経験を取り扱います。未分化の問題は現在の疾患モデルでは説明できないため、複雑で動的で不確実と言われます。そうであってもGPは病気を管理します。プライマリケアは病気が社会的生活に影響を及ぼす可能性やその逆があることを知っており、その中でGPはこれらの問題を管理する方法を見つけなければなりません。
一部の患者は特定可能な疾患の事もありますが、社会的結果に対する支援の支援の必要であることもあります。GPは一時的なケアではなく、継続的なケアを提供し、定期的に診察していくGPのコアな役割を持っています。それでもケアの側面は明確な目的や特定や測定可能な知識の世界の中で定義されています。
また、GPの問題は病気の複数さや動的で変化する問題に対処することです。その人の病気の経験のすべての側面を管理します。単一疾患に対して行うように各疾患を管理することは不可能であり望ましくありません。GPは集団の研究から派生した特定の知識を適応して個音個人を理解しようとする認識論的不確実性に対処することに加えて、病気の複雑さを理解するために様々な知識を統合するという課題に直面しています。
GPと患者の相互作用の間に、少なくとも3つの病気の物語が現れる可能性があります。一つ目は患者自身の経験、患者の病気の認識・分析です。2つめは文献に記載されている病気の病理学的説明です。3つ目は病気と正常機能・専門知識と価値・以前の患者の病気の経験の理解に基づいた説明です。病気の生物学的・伝記的説明を統合して、個別化された説明・評価・介入計画を考えるGPの解釈的役割はGPやカリキュラムの中ではあまり評価されていません。
知識と実践のモデル
過去20年にわたり解釈的側面を評価できていませんでした。New Public Management(NPM)は1980年代に英国で公的部門改革そして市場原理を導入したものです。1970年代は経済危機であり、不確実性とリスクに対する認識が増え、健康と医療の不平等に関する懸念や、専門家に対する不信感もみられ、品質・効率性・説明責任が求められるようになりました。専門家の意見から組織システムの客観的評価にシフトしたという時代でもあります。
ハリソンは医療の有効性を、医療が支配的なモデルで説明しようとしました。これがEBMの導入の初めで、集団内の定義された病気の経験的観察の統計分析の協調によって最良のエビデンスが定義されていきました。エビデンスは臨床経験ではなく科学的手法に由来し、その知識の確実性の定量的推定・知識を提供します。知識は患者の問題を
説明するためにあり、専門的知識が個々の患者のケアについての決定を行う際に最良のエビデンスを提示する必要があり、個々の患者の解釈をサポートする理論的枠組みは記述されていませんでした。
SBMはEBMと同様に医学の有効性に関する有効な知識を専門家が作成し、客観的研究に基づいて当てはめようとしています。SBMが異なるのはその知識の使用の仕方です。EBMは専門家の判断を正当性とし、SBMは現場の医師に判断を委ねるというところが異なります。SBMでは診断ツールや意思決定ツール、ガイドラインなどアルゴリズムを用いてサポートします。専門的実践のばらつきや不確実性をサポートしたモデルです。いずれも科学的方法によって行われ、定量的推定による知識を提供しています。特定の疾患である二次医療では適切であるが、複雑で動的、深津実な性質を考えると総合診療では疑問が残ります。
SBM/EBMの批判 Mayの正規化プロセスモデル
複雑な介入をヘルスケアにおける集団行動のパターンに当てはめる、あるいは既存のパターンを修正する試みの事である。4つの命題を満たさなければならないと考えられています。このフレームワークを使用して批判的に調査できるようになります。
①個人の創造的能力creative capacityを測定する
②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する
③暗黙知の信頼性を確立する
①個人の創造的能力creative capacityを測定する
②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する
③暗黙知の信頼性を確立することである。
・GPと患者の相互作用の間に、少なくとも3つの病気の物語がある
①患者自身の経験、患者の病気の認識・分析
②文献に記載されている病気の病理学的説明
③病気と正常機能・専門知識と価値・以前の患者の病気の経験の理解に基づいた説明
・複雑な介入をEBM/SBMに当てはめようとしたときに、Mayのフレームで考える
①相互作用する作業性:患者とGPが目的と行動の一致および結果の共有を達成するのに役立ちますか?
②関係の統合:専門家の説明責任と患者の自信を改善しますか?
③スキルセットの実行可能性:kimonoリソースと構造内のタスクの割り当てとパフォーマンスに影響しますか?
④コンテキストの統合:実装にリソースを利用できますか?実現できますか?
・臨床医は不確実な場合、専門家としての責任責任のないまま診療を続けます。これは臨床医の力を弱め逆説的に説明責任を改善しない可能性があります。常に医学的に正しいかどうかを見る第3の目を持つべきです。
・医師は治療オプションを提示する際に説明的なモデルではなく探索的な地図をつくようなサポートをします。(探索的態度をマイニングと表現します。)
・IMは、個人の日常生活を維持するための創造的能力をサポートするために、個々の病気の経験の動的な共有調査および解釈における適切な知識を思慮深く専門的に使用することである。
・解釈的医療の質の定義 Maxwellの提唱
①記述的妥当性
②解釈の妥当性
③理論的妥当性
④Generalisability
⑤評価的妥当性