南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。

富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

解釈的医療 変化するプライマリケアの世界でジェネラリズムをサポートする

Interpretive medicine: supporting generalism in a changing primary care world.

Joanne Reeve, Occas Pap R Coll Gen Pract. 2010 Jan; (88): i-viii, 1-20.
PMID:21805819
 
解釈的医療 変化するプライマリケアの世界でジェネラリズムをサポートする
  
数回にわたりexpert generalist practice (ジェネラリストの卓越性)についての理解を深めたいので主要となる論文を紹介していきます。普通の医者を目指す私ですが、普通のレベルを高める道標になるはずです
 

前回の投稿で

GPには少なくとも3つの働き方があることを紹介しました。

①オールラウンダー型GP:領域別専門家の幅広いニーズに対応できるコンサルティングスキルの専門知識を有するGP

②special interest型GP:専門的なコンサルティングスキルといくつかの専門知識を組み合わせた、関心領域を持つGP

③expert generalist practice:各個人のニーズを明確に定義し対処するために、解釈的実践を行う卓越したGP

GPの評価は専門医のレベルかどうかという問題だけでなく、オールラウンド型GPの役割からexpert generalist practiceの役割に進化させる必要があるというお話でした。

 

そこで今回はジョアン・リーブ教授によるInterpretive Medicineの紹介です。

 

藤沼先生のブログを先に読まれたらそれで十分かもしれません。

藤沼先生の唱える「人の生活ルーチンは自己/主体の一貫性の根拠となる。病気になりルーチンに支障が出ても、それをなんとか「創意工夫」する力をCreative Capacityと呼び、病いのなかにある主体を、単に病み、弱っていく主体ではなく、クリエイティブな主体、Creative Selfとして支援することが、患者の主体へのアプローチである。それを患者自身がきづいていないこともあるので、自己の一貫性を保証する日常ルーチンを医療者ととともに探索し、その意味を見出していくことがInterpretive Medicineの実践である」というのは結構浸透しているのではないでしょうか。 

 

実はこの論文は北海道家庭医療学センターのジャーナルクラブでもつい最近の2019年の8月のアーカイブに取り上げられていたようです。家庭医療の有名施設でも同じ文献を取り扱っているというだけで勉強意欲がわきますね。

 

また解釈的医療については 

メディカル・ジェネラリズム - 日本プライマリ・ケア連合学会

https://www.primary-care.or.jp/imp_news/pdf/20160721.pdf

でもp8に取り上げられていました。(2012にPCに保存して読んだはずなのに、さっぱり覚えていませんでした。)

 

(引用)Trisha Greenhalgh教授は「ジェネラリストの知識は、部分よりも全体、そして構成要素や事実よりも関係性やプロセスを捉える視点で特徴づけられる。そして問題をどのように、どのレベル(個人、家族、システム)で考慮するかについての思慮深くコンテクストに特異的な決定で特徴づけられる」と述べている。ここで欠かせないのが解釈的医療(interpretive medicine)の考えである。それは、個人およびその個人が世界にどう対処しているかに、最初からそして定義上、焦点を当てた関係性を確立することである。これは人間を扱う専門家である職業人による「伝記的」な視点である。これは、洞察の共有を発展させるという意味で治療的になりうるラポールの確立を伴う。これは、理解/知識、感情適応力、あるいは検査と治療選択肢の意思決定に関して、個々人を前に進める可能性を持つという点で促進的かつ啓発的である。総合診療においてこれは常に良い診療の中心的要素であった。
Dr Peter Toonは委員会への提案書で以下のように述べている:
解釈的機能は総合診療の中核であり、そうあるべきものである。なぜなら、人々が彼らの病気や障害を理解しそれらを持って生きることを助けられ、それらを彼らの人生のナラティブに統合し、そして彼らに利用可能な選択肢の範囲内でこれを繁栄のナラティブにするのは、この働きを通してである。

 

この文献を読むだけでも解釈的医学がなんとなく理解できそうですが、原著を読んで確認していきたいですね。

 

pdfで32ページですが、全訳ではなく省略しながら進めていきます。

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要約

患者中心性はGPの核となる価値です。これは個人の全人的なケアを支援する対人プロセスとして定義されます。これまで、患者アウトカムと患者中心性の関係を実証する努力は期待はずれとなっていましたが、一部の研究では価値が現実よりも誇張した結果である可能性が示唆されています。患者のコンテキストの問​​題は、患者中心の医療面接の質に影響を及ぼしアウトカムにも影響を与えます。知識やエビデンスの合理的な活用は、現代の診療の決定的な側面であり、患者中心性にも影響を及ぼします

 

文献の批判的吟味・経験的研究および臨床実践からの考察に基づいて、個別化されたケアを適応する現在のモデルを批判します。エビデンスに基づいた医学(EBM)、および健康政策における科学的官僚医学(Scientific Bureaucratic Medicine:SBM)の実施は、臨床経験よりも科学的知識を上にする認識論的強調の観点から最良のエビデンスを定義します。それは、その知識の確実性の定量的推定を含む、病気の客観的な知識を提供します。

 

疾患の専門家と、選択された集団のエピソードケアに関しての診断や治療について二次医療に紹介する際には従来のモデルは適切ですが、多疾患で複雑で動的で不確実な性質を考えると、総合診療へ従来のモデルの適用は疑問視されます。

 

私は、総合診療は解釈的医療(IM)のモデルによってよりよく説明されることを提案します。解釈的医療とは、個々の病気の経験の動的な共有された探求と解釈における適切な範囲の知識を批判的、思慮深く、専門的に使用することです。個人の日常生活を維持するために、個人の創造的能力creative capacityをサポートする能力です。

 

解釈された知識の生成は日々の総合診療に不可欠な部分であるが、その専門性はこの活動が外部から適切に行われたと判断できる適切なフレームワークがありません質的研究分野での解釈および知識生成における品質の認識に関連する理論を利用して、ジェネラリストや解釈的臨床診療から発生した知識の質を評価するためのフレームワークを提案します。

 

このモデルを更に発展させる研究のための3つの優先順位を示す。またそのことが総合診療の重要な要素を強調し維持し、地域の健康ニーズを促進し支持するのです。

 

すなわち、解釈的実践は

①個人の創造的能力creative capacityを測定する

②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する

③暗黙知の信頼性を確立する

ことなのです。

 

序文

Reeveは世界を記述し予測する実証主義科学には限界があることを認識し、GPは患者の個別の評価と管理において様々な知識を使用する能力をサポートすることが求められるとしています。例えば病気の経験に基づいて、個人と共有された意思決定プロセスにケアのプロトコルを適応すると困難な問題がみられますが、そこにGPがプロトコルを超えた重要な役割があることを特定する手掛かりになります。

 

患者は病気を有するだけの存在ではなく、GPが疾患に関連する境界があいまいで複雑な状況でも決定を下すことができます。これは経験している結果として生じる病気を確立させ管理するときに重要になります。患者の身体的、心理的、社会的、精神的状況の観点で進行中のナラティブを考えることは自己の性質に関する重要な事であります。

 

前書き

総合診療では、個人に対する、個人的、全人的、生涯にわたる包括的ケアの提供を重視しています。実際にはコンサルトや対人スキルの焦点を当てられていますが、現行の疾患モデルが批判されない限りその価値は分かりません。解釈的医療(IM)の新しいモデルを提案し、その継続的開発と応用を強化するために必要なコアコンポーネントを概説します。実践できるための臨床及び研究の優先順位を特定することが今回の目的です。

 

総合診療のはじまり

現在の総合診療ではEBMとSBM、二次医療モデルから派生した知識とエビデンスの合理的な使用がなされていました。実際エビデンスの多くは二次治療(疾患中心の専門モデル)の研究に由来しており、プライマリケアではそのアプローチを分けて考える必要があります。

 

プライマリケア医が、プライマリケアだけでは診断も治療もできない病気の原因を疑った場合、二次医療である専門医に紹介します。そこで治癒すると患者は退院しますが、治癒しない場合、別の専門医に紹介され、最終的にGPに戻ってきます。病理学的疾患モデルは病気が正常からの生物学的逸脱に起因することを想定しており、異常を修正すると健康が回復しますこのモデルは病気の状態の客観的な尺度の開発に役立ち、EBM、SBMのモデルで使用されている知識のパターンです。

 

対照的に想像診療では、分類・定義できない病気の経験を取り扱います。未分化の問題は現在の疾患モデルでは説明できないため、複雑で動的で不確実と言われます。そうであってもGPは病気を管理します。プライマリケアは病気が社会的生活に影響を及ぼす可能性やその逆があることを知っており、その中でGPはこれらの問題を管理する方法を見つけなければなりません。

 

一部の患者は特定可能な疾患の事もありますが、社会的結果に対する支援の支援の必要であることもあります。GPは一時的なケアではなく、継続的なケアを提供し、定期的に診察していくGPのコアな役割を持っています。それでもケアの側面は明確な目的や特定や測定可能な知識の世界の中で定義されています。

 

また、GPの問題は病気の複数さや動的で変化する問題に対処することです。その人の病気の経験のすべての側面を管理します。単一疾患に対して行うように各疾患を管理することは不可能であり望ましくありません。GPは集団の研究から派生した特定の知識を適応して個音個人を理解しようとする認識論的不確実性に対処することに加えて、病気の複雑さを理解するために様々な知識を統合するという課題に直面しています。

 

GPと患者の相互作用の間に、少なくとも3つの病気の物語が現れる可能性があります。一つ目は患者自身の経験、患者の病気の認識・分析です。2つめは文献に記載されている病気の病理学的説明です。3つ目は病気と正常機能・専門知識と価値・以前の患者の病気の経験の理解に基づいた説明です。病気の生物学的・伝記的説明を統合して、個別化された説明・評価・介入計画を考えるGPの解釈的役割はGPやカリキュラムの中ではあまり評価されていません。

 

知識と実践のモデル

過去20年にわたり解釈的側面を評価できていませんでした。New Public Management(NPM)は1980年代に英国で公的部門改革そして市場原理を導入したものです。1970年代は経済危機であり、不確実性とリスクに対する認識が増え、健康と医療の不平等に関する懸念や、専門家に対する不信感もみられ、品質・効率性・説明責任が求められるようになりました。専門家の意見から組織システムの客観的評価にシフトしたという時代でもあります。

 

ハリソンは医療の有効性を、医療が支配的なモデルで説明しようとしました。これがEBMの導入の初めで、集団内の定義された病気の経験的観察の統計分析の協調によって最良のエビデンスが定義されていきました。エビデンスは臨床経験ではなく科学的手法に由来し、その知識の確実性の定量的推定・知識を提供します。知識は患者の問題を

説明するためにあり、専門的知識が個々の患者のケアについての決定を行う際に最良のエビデンスを提示する必要があり、個々の患者の解釈をサポートする理論的枠組みは記述されていませんでした。

 

SBMはEBMと同様に医学の有効性に関する有効な知識を専門家が作成し、客観的研究に基づいて当てはめようとしています。SBMが異なるのはその知識の使用の仕方です。EBMは専門家の判断を正当性とし、SBMは現場の医師に判断を委ねるというところが異なります。SBMでは診断ツールや意思決定ツール、ガイドラインなどアルゴリズムを用いてサポートします。専門的実践のばらつきや不確実性をサポートしたモデルです。いずれも科学的方法によって行われ、定量的推定による知識を提供しています。特定の疾患である二次医療では適切であるが、複雑で動的、深津実な性質を考えると総合診療では疑問が残ります。

 

SBM/EBMの批判 Mayの正規化プロセスモデル

複雑な介入をヘルスケアにおける集団行動のパターンに当てはめる、あるいは既存のパターンを修正する試みの事である。4つの命題を満たさなければならないと考えられています。このフレームワークを使用して批判的に調査できるようになります。

①相互作用する作業性:患者とGPが目的と行動の一致および結果の共有を達成するのに役立ちますか?
②関係の統合:専門家の説明責任と患者の自信を改善しますか?
③スキルセットの実行可能性:リソースと構造内のタスクの割り当てとパフォーマンスに影響しますか?
④コンテキストの統合:実装にリソースを利用できますか?実現できますか?

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相互作用する作業可能性とは、総合診療の本質的な部分、すなわち共通の理解の特定に関係しています。特に不確実である病気との関係で、EBMの厳格な適用は、共有のサポートを怠ることで医原性の害を及ぼす可能性があります。例えば疲労、ストレス、苦痛などの変化した状態を病気(例えば慢性疲労症候群や精神的健康問題)として概念化されます。病気の経験やニーズは、ケアがニーズに適合するよう保証するのではなく、現在のケアのモデルに適合するように再概念化されたのです。その結果、治療薬を販売するために病気の境界を拡大するという医療の商業化が懸念されています。
 
個人レベルでは診断基準を厳格にすることで過小治療に繋がる可能性があります。病気が確認できない場合、正常であることを求める場合もあります。その結果、代替治療法としてライフスタイルや社会的状況を当てはめてしまうという害もみられている。疾患を見つけることが患者のニーズではないこともあるのです。
 
患者の認識と一致しない病気の診断をすることで自己能力を損ない、自己管理を損なう可能性があります。その疾患を特定するプロセスではなく、個人の潜在的な社会的相互作用として患者を理解する必要があります。
 
疾患中心になると過剰治療になる害もあります。例えば高齢患者に複数の処方を行うと店頭のリスクが生じ、その結果、機動性、自信、自立、生命の損失に繋がります。病気は確かにあるかもしれませんが、患者のQOLをサポートするという点が重要です。
 
とはいえ、疾患モデルは予後予測や治療の必要性を識別するために荷は有用であることを知っていなければならない。GPの扱うほとんどは疾患モデルで理解できます。その場合は適切に紹介できるようになっていないといけない。
 
ところが、GPが専門的判断を使って優先順位をつけようとすると、評価されず適切にサポートされないことが分かっています。実際の知識を理解し評価するための柔軟なフレームワークが必要です。
 
関連性の統合
専門的知識の説明責任と、患者の信頼の問題で考えると、科学的知識を重視する文化の中でSBM/EBMに重点を置くことが自信を改善することに繋がりますが、問題もみられます。まず確実性の高い問題を説明することで不確実性に触れられないため健康問題に適切にこたえられず不満をもたらすことがあります。例えば「私には当てはまらない」というものです。SBM/EBMは臨床医には力になるが、患者のケアと矛盾することがあります。NICEガイドラインでも最良のエビデンスがっても個々の患者にとって適切かどうかを考えるとあり「規範的枠組み」とも言われます。訴訟を恐れてプロトコルを遵守するよう圧力がかかり困難となる可能性があります。
 
臨床医は不確実な場合、専門家としての責任責任のないまま診療を続けます。これは臨床医の力を弱め逆説的に説明責任を改善しない可能性があります。常に医学的に正しいかどうかを見る第3の目を持つべきです。また、組織の中でこの介入を提供するのが適切かどうかも重要です。SBMでは臨床医も患者も指揮を下げる可能性があります。また、持続的に活用できるかという問題もあります。疾患中心になるとその治療や予防のために再概念化されコストのスパイラルに陥る可能性もあります。
 
医師は治療オプションを提示する際に説明的なモデルではなく探索的な地図をつくようなサポートをします。(探索的態度をマイニングと表現します。)
マイニングメタファーの適用について2つの懸念があります。
①特定の病気の仮定に関する問題
②パターナリズムから患者中心にするはずが、SBMのため両方から力を奪う問題
下の図は、コンサルトの強調の変化を示します。マイニングでは、コンサルテーション自体に注意の焦点が起これます。そこで発生するプロセスと結果で方向が決まります。探索的見解ではコンテキストの一つの社会的相互作用でその後の方向に影響を与えるものであり、注意の焦点は相談そのものから個人とその人の人生を生きる能力に移っています。

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この2つは統合されていません。EBM/SBMも疾患モデルも疾患によって使い分ける必要があります。
 
解釈的医療について
IMは、個人の日常生活を維持するための創造的能力をサポートするために、個々の病気の経験の動的な共有調査および解釈における適切な知識を思慮深く専門的に使用することです。

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fig1でも取り上げましたが、探索モデルを利用して、患者の生活をサポートすることです。総合診療音核となる結果は、個人が日常生活の継続性を維持する努力を支援することです。
 
パーソナルケアにおける「自己」の定義
心、身体、社会世界の概念間の「橋」としての具体化を認識し、生きた身体を単に「心の物理的な容器」ではなく「世界の中にいる」と見なします病気を必ずしも否定的なものと見なすのではなく、その破壊的な影響が適応性を促進できると考えます適応性(身体的、心理的、社会的、時間的レベルで)は、具現化された自己の崩壊に対する非常に個人的で創造的な反応と見なされ「逆境は創造的な反応の源」とも言えます。
 
症状だけでは、人々が専門家の助けを求めるようにはなりません。助けを求める決定は、個人の個人的および社会的状況に関連しています。患者は苦しみの緩和のための助けを得るために来て、それは彼らの日常生活を続ける能力に影響を与えています。特に急性疾患では、生物学的側面のみに焦点を当てることで十分な場合があります。個人が自分の人生を生きる創造的な能力を認める必要性を強調し、個々の機関の概念を認識せず、したがって支援および活用しなかったことに対する病気の医学的説明をCarelは批判しています。
 
また変化の刺激としての苦痛の証拠とその生産的効果がありました。しきい値を超えると、継続性を維持できなくなることが明らかになりました。疲労は、継続性の回復を支援するために外部(医療)介入を必要とする深刻な混乱と混乱の期間を引き起こしました。「正しい」診断でさえ、人々の自己組織を損なう可能性があり、協議における知識の使用の「適切性」または「品質」に関する代替の視点の必要性を生み出します
 
実際の解釈医学
EBMではなくIMのモデルを採用すると、まったく異なる協議が生じる可能性があります。病気の経験に関する個別化された統合された解釈的説明を共同で構築するために使用され、創造的能力と日常生活をサポートし、さらに強化するプロセスを特定するために使用できます。
 
解釈のスキル
解釈プロセスの基本は、アリストテレスによって記述された両方の知的美徳、すなわちソフィアとフロネシスの使用です。ソフィアは、人間の経験に関する生物学的および伝記的な記述を含む、学術研究から得られた外部世界の知識を所有し、活用することを指します。これはEBMの考え方です。フロネシスは、通常「実践的な知恵」と翻訳され、変化をもたらす知性と世界の知識の使用を指します。この論文の文脈において、これは知識がどのように使用されるかではなく、どのように使用されるかを指すといえ、「医学の2つの文化間のギャップを埋める」必要があります。
 
解釈的医療の質の定義 Maxwellの提唱 ※表がありますが原著でご確認ください
①記述的妥当性
②解釈の妥当性
③理論的妥当性
④Generalisability
⑤評価的妥当性
 
一般的には解釈的実践の一般化可能性は

①個人の創造的能力creative capacityを測定する

②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する

③暗黙知の信頼性を確立する

ことなのです。
 
32ページをざっくりまとめました。ポイントは
・総合診療は解釈的医療(IM)のモデルによってよりよく説明される。
・解釈的医療とは、個々の病気の経験の動的な共有された探求と解釈における適切な範囲の知識を批判的、思慮深く、専門的に使用することです。個人の日常生活を維持するために、個人の創造的能力creative capacityをサポートする能力です。
・解釈的実践は

①個人の創造的能力creative capacityを測定する

②個人のcreative capacityが上がることでのコミュニティの発展する

③暗黙知の信頼性を確立することである。

・GPと患者の相互作用の間に、少なくとも3つの病気の物語がある

①患者自身の経験、患者の病気の認識・分析

②文献に記載されている病気の病理学的説明

③病気と正常機能・専門知識と価値・以前の患者の病気の経験の理解に基づいた説明

・複雑な介入をEBM/SBMに当てはめようとしたときに、Mayのフレームで考える

①相互作用する作業性:患者とGPが目的と行動の一致および結果の共有を達成するのに役立ちますか?
②関係の統合:専門家の説明責任と患者の自信を改善しますか?
③スキルセットの実行可能性:kimonoリソースと構造内のタスクの割り当てとパフォーマンスに影響しますか?
④コンテキストの統合:実装にリソースを利用できますか?実現できますか?

・臨床医は不確実な場合、専門家としての責任責任のないまま診療を続けます。これは臨床医の力を弱め逆説的に説明責任を改善しない可能性があります。常に医学的に正しいかどうかを見る第3の目を持つべきです。

・医師は治療オプションを提示する際に説明的なモデルではなく探索的な地図をつくようなサポートをします。(探索的態度をマイニングと表現します。)

・IMは、個人の日常生活を維持するための創造的能力をサポートするために、個々の病気の経験の動的な共有調査および解釈における適切な知識を思慮深く専門的に使用することである。

・解釈的医療の質の定義 Maxwellの提唱
①記述的妥当性
②解釈の妥当性
③理論的妥当性
④Generalisability
⑤評価的妥当性

 
探索的態度の実践例の紹介が原著の後半にありましたが、力尽きました。
興味のある方はご覧いただければ幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。