Dismantling Lord Moran’s ladder: the primary care expert generalist
YouTubeでもその雰囲気を感じることができます。
Dr Joanne Reeve discusses the SAPC conference being held at the University of Warwick
それよりも、BJGP, 2017のこの概念図は私の中では秀逸でした。
Realising the full potential of primary care: uniting the ‘two faces’ of generalism
Joanne Reeve and Richard Byng ジェネラリズムの「2つの顔」を統合する
British Journal of General Practice 2017; 67 (660): 292-293. DOI: https://doi.org/10.3399/bjgp17X691589
これは改めて何回か後に紹介する予定です。
注:訳してみたものの、この図は今回解説しません。なんとなくで理解して下さい。
Lord Moranの梯子を解体する:卓越したジェネラリストについて
「ジェネラリストになることは私にとって選択ではありません。もっと何かしたかったのに」(若いキャリアの医師)
いきなりLord Moranの梯子が出てきたのですが、これはLord Moranの梯子という論文から来ています ‘Lord Moran’s ladder’. A study of motivation in the choice of general practice as a career. J Coll Gen Pract 7:38–65.
ここら辺は、藤沼先生のブログにもしっかり記載されている時代背景ですし、手っ取り早く理解したければ、この後の内容はここを読んだらいいのではないかと思えてきますが、原著を読むことは理解を深めると思いますので頑張って読んでください。
イギリスのGPはLord Moranの「GP,家庭医は専門医にのぼるはしごから落ちた医師である」という50年以上前の呪いのような言説にどうしたら対抗できるのかという研究をしています。
pdfで26ページにわたる「なぜあなたはGPになったのか」という質的研究でGPに憧れてという意見もありますが、ざっくり読むと親が開業医、機会に恵まれた、家庭を持った、妻にお願いされた、試験に落ちた、怠け者だった、お金がないなどいっぱい書いてありますが、それは本当にそうなのか検証しています。(ちなみに明確な有意差はないようですが結論は出ていないようです)
本文に戻ります
そんなLord MoranがGPを専門家の梯子から落ちた医師であると示唆してから50年以上になります。そして若いキャリアGPの3分の2は専門家になりたかったと思っていました(Curwen M, 1964) 今日も、Lord Moranの梯子は生き続けています。多くの卒業生にとって、GPはまだ最初の職業選択ではなく、必要な労働力を維持するには十分ではありません(Lambert T, 2011) 若いキャリアの医師との会話で、彼らが一般診療の範囲内で柔軟に働く機会を大切にしていることを明らかにしています。しかし、彼らはGPの役割よりも「何か」を望んでいることにも注目すべきです。特に、「special interest」を開発する機会です。これは、GPの役割の評価は、専門知識があるかでしか評価できないことを意味します。特にこれがプライマリケア専門家のジェネラリストのアプローチの誤解です。
プライマリケアのエキスパートジェネラリストについて
まず、expert generalistが何かを理解しなければなりません。役割は2つの要素によって定義されます。1つは個別化された意思決定の原則です。それは健康を生活の資源として認識しそれ自体が目的ではないということです(Reeve J , 2010) 2つ目はinterpretive medicine (解釈的医学)の実践です。個々の病気の経験の動的な探索と解釈における幅広い知識の活用です(Reeve J, 2011)(経歴とバイオテクノロジー、および専門的経験から得られた知識が含まれます。)重要なのは、そのような専門知識には、解釈の信頼性を判断する能力が含まれることです(Reeve J, 2011) したがって、問題解決を提供する(実際に問題を再構成する)スペシャリストと、「問題の定義」を支援するジェネラリストを区別できます(Freeman G , 2012)
しかし様々な文献では「jack of all trades(何でも屋)」と「習得した専門知識」を持つ実務家としてのジェネラリストの2つの異なる見解を強調しています。GPの以前の「万能な」見解は、職業の内外で広く普及しています。GPとのインタビューでは、多くの人がジェネラリストの実践を「広く浅く知っている」と述べました。これは、システムのギャップを埋める柔軟性を含め、これまで以上に幅広いケアを行う能力があるとジェネラリストのヘルスサービスマネージャーの見解に反映されています。ジェネラリストは、専門知識ではなく守備範囲によって定義されます。
注釈:jack of all trades, master of none:《諺》 何でもやれる人に優れた芸はない, 「多芸は無芸」, 「器用貧乏」なぜjackなのかというと、Johnの愛称でごくありふれた名前という意味で使われるといわれています。
https://thecreative.cafe/jack-of-all-trades-master-of-none-610d01afd6a8
この4分割表にもjackはgeneralistの例に挙げられていますね。
ジェネラリストの専門知識を認識または評価できないということは、「専門家」のケアを提供する「非専門家」をサポートする技術システムの作成が必要です。(専門家ではない)ヘルスケアが(専門家ではない)コミュニティに移されるにつれて、医療システムは「専門家の専門知識」をどれだけ提供できるかをケアの質と定義するプロトコルに置き換えます。その結果、患者と施術者に同様に負担をかけるケアのシステムができました。専門知識と専門性を区別できないことから生じます。専門家は「問題を解決できる」必要がありますが、専門家は「その解決策を知る必要がある」ことを理解するためです(Freeman G , 2012) しかし、それはまた、ジェネラリストの実践が専門家の役割ではなく技術的な役割と見なされるようになることを意味し、それによってLord Moranの梯子を肯定してしまいます。
GPとEGP
オールラウンダー型GPには専門知識がないわけではありません。現在のGPトレーニングは、コンサルテーションスキルの専門知識を開発します。これは、特に未分化の問題を扱う際に、オールラウンダーが直面する多様性とリスクに対処するのに役立つ、患者とのコミュニケーションと関係を説明する一連の実践を指します。専門家は、一連のエビデンスとともに、診察と関連する医師と患者の関係の治療上の利点を認識しています。それはまた、おそらく少数ですが、初期のキャリアの医師の一部に長い間アピールしてきた実践分野です。
しかしGPとEGP(expert generalist practice:卓越したジェネラリスト)は同一のものではありません。むしろEGPは全てではないもののGPから拡張された役割を担っています。個々の患者に特異的なニーズを定義し取り組むというinterpretive medicine (解釈的医学)ができますが、それでEGPを定義できるとは言えません。専門知識は、公式なトレーニングだけでなく経験学習を通じて開発されます。このようなトレーニングでは解釈的医学についての価値(原則)と技術の両方に取り組む必要があります。我々の経験では、若いGPにとってEGPは興味を持たせるのではないかと考えます。
現在のGPの役割内で異質性を認識する必要があります。GPには少なくとも3つの働き方があるといえます。
①オールラウンダー型GP:領域別専門家の幅広いニーズに対応できるコンサルティングスキルの専門知識を有するGPです。
②special interest型GP:専門的なコンサルティングスキルといくつかの専門知識を組み合わせた、関心領域を持つGPです。
③expert generalist practice:各個人のニーズを明確に定義し対処するために、解釈的実践を使用する卓越したGPです。
なぜそれが重要なのですか?
医療システムは、リソースのバランスを取りながら需要が増え続けるのに苦労しているため、プライマリケアをどのように提供するかを批判的に検討する必要性が高まっています。他の医療専門家は現在、優れた相談スキルに支えられた技術的ケアを提供しています。さまざまな作業パターンを認識することで、影響についての重要な検討事項だけでなく、誰がケアを提供できるのか、またケアを提供すべきなのかという問題まで広げます。おそらく、オールラウンド型GPの役割をexpert generalist practiceの役割に進化させる必要があると思います。このようにして、ようやくLord Moranの梯子を解体できるでしょう。
まとめ
・Lord Moranは「GPを専門家の梯子から落ちた医師である」と示唆した。若いキャリアGPの3分の2は専門家になりたかったと思っていた(Curwen M, 1964)
・GPの役割の評価は、専門知識があるかでしか評価できないことを意味する。特にこれがプライマリケア専門家のジェネラリストのアプローチの誤解である。
・expert generalistは2つの要素によって定義されます。1つは個別化された意思決定の原則で、健康を生活の資源として認識しそれ自体が目的ではない(Reeve J , 2010) 2つ目はinterpretive medicine (解釈的医学)の実践です。個々の病気の経験の動的な探索と解釈における幅広い知識の活用である(Reeve J, 2011)
・問題解決を提供する(実際に問題を再構成する)スペシャリストと、「問題の定義」を支援するジェネラリストを区別できます(Freeman G , 2012)
・「jack of all trades(何でも屋)」と「習得した専門知識」を持つ実務家としてのジェネラリストの2つの異なる見解であり、ジェネラリストは、専門知識ではなく守備範囲によって定義されます。
・ジェネラリストの専門知識を認識または評価できないということは、「専門家」のケアを提供する「非専門家」をサポートする技術システムの作成が必要。
・専門家は「問題を解決できる」必要がありますが、専門家は「その解決策を知る必要がある」ことを理解するためです(Freeman G , 2012) しかし、それはまた、ジェネラリストの実践が専門家の役割ではなく技術的な役割と見なされるようになることを意味し、それによってLord Moranの梯子を肯定してしまいます。
・GPには少なくとも3つの働き方があるといえます。
①オールラウンダー型GP:領域別専門家の幅広いニーズに対応できるコンサルティングスキルの専門知識を有するGP
②special interest型GP:専門的なコンサルティングスキルといくつかの専門知識を組み合わせた、関心領域を持つGP
③expert generalist practice:各個人のニーズを明確に定義し対処するために、解釈的実践を使用する卓越したGP
・オールラウンド型GPの役割をexpert generalist practiceの役割に進化させる必要があると思います。このようにして、ようやくLord Moranの梯子を解体できる。
病院総合医の議論で病院に家庭医は必要ないのではないかという議論になったりしていますが、病院家庭医の卓越性を明確にできればその存在価値が見いだせるのではないかと思います。