日本版(南砺版)ホスピタリストについて考える
写真:専攻医からの企画でNEJMのClinical Problem-Solvingをしているところである。私は撮影のため指をさしているだけで、何かをしゃべっているわけではない。よく考えたらなぜ机の向きがホワイトボードと垂直なんだろう…。
このブログはニッチな領域を狙って家庭医療の勉強になる論文に特化したブログになるはずが、考えのアウトプットを通じて、自分の頭の中を整理するきっかけになっている。非常にありがたいことだ。このテーマになってから、Facebook上で家庭医療や総合内科の著名な先生方がご意見をくださるようになり、このブログをきれいにまとめたら立派な考察になりそうである。もし私のFacebookから来られている方がいれば、過去のコメント欄を見ていただけると濃厚なディスカッションが繰り広げられているので、見ていただきたい。
これまでのあらすじ
これまでも数回にわたり、私が普段しているホスピタリスト(病院総合医)に関わるお話をさせてもらっている。この話を何故することになったのかというと、最近総合診療界隈で、病院総合医というもののキャリアパスに対する動きがあり、私も後輩にキャリアを提示するうえで「自分が何をしているのか、どうありたいのか、なぜこのブログのタイトルが病院”家庭医”なのか。」を明確にする必要があると感じたからである。徐々に明らかになっていると思うが、家庭医療のエッセンスも勉強になるように書いているので温かく見守っていただければ幸いである。
南砺版ホスピタリストに関する考察
①普通の医者とは何か(学習者のニーズ)
②地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)
③アベンジャーズスタイルだけでは問題があるのか(病院家庭医の必要性)
④地域の小規模病院(コミュニティーホスピタルともいいます)をみる日本版ホスピタリストには何が求められているのか(諸外国のホスピタリストとの役割の違い)
⑤ホスピタリストのキャリアパスについて(キャリア理論について)
⑥領域別専門医からみた病院家庭医に足りないところ、病院家庭医と領域別専門医とは今後どう協力していくのか(今後の課題)
これまでは富山の田舎の病院が総合診療に力を入れるようになった歴史についてお話しした。総合診療について情報が乏しかった医学生時代から小規模病院で家庭医療が役に立つと信じて進んできた私の今までのキャリアを説明した記事になっている。
そして、実際に当院の目指す普通の医者になるためには、高い目的とそれにフィットする適切な方略、そして質を担保できるような内省的かつ多面的な評価が必要であることを紹介してみた。
ここから地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)について、ACCCAを軸にしつつも地域のニーズをとらえて自身の形態を変えるスキルと、その共通言語をもち「とりあえず診る」姿勢を持った家庭医が診療所や他診療科とのハブとなる機能を発揮するために病院にも必要であるという話をした。
そして、総合内科医と家庭医の違いは、複雑性へのアプローチや多職種連携などへの興味や教育に対するウエートの違いではないかと論考した。
日本版ホスピタリストの中でも地域密着型中小病院(コミュニティーホスピタル)における病院総合医に必要な人材を育成するには、病院家庭医タイプと総合内科医タイプの指導医がいるところでそれぞれの持ち味をオーバーラップさせながら、相互的な教育をして、学習者は自分の診療のスタンスがどちらなのか傾向をつかみ、足りないものを補っていき強みを伸ばしていく、そして地域のニーズに合わせて各病院がこの2タイプの教育の配分を考えていく(あるいは人材交流していく)スタイルが良いという話をさせていただいた。(余談にトラバター的文化交流とパワプロ的評価にも触れた)
そして前回は病院総合医のキャリアパス案として、病院内にアベンジャーズと総合内科と家庭医療の教育カンファレンスができる環境、難しければ家庭医診療所と連携し病院総合医の合同カンファレンス、あるいは病院と診療所を行ったり来たりできるような仕組みを作る。個人単位では病院総合医領域のポートフォリオを作成し足りないところを可視化する生涯学習のサポートがある。職場単位ではスタッフの多様性(時短勤務・産休育休・他科からの転向)を重視して様々なニーズに対応して、全国・ローカル・Webベースで病院総合医のスペシャルインタレストグループを作る(FD・サブスぺなど)という夢を語ってしまった。
この話をした後に、非常に参考になった議論があったのでここでまとめたい。
①病院/診療所・在宅と、総合医/専門医の4分割の時代ではなくなった
私自身も文章から滲み出ていたので、考えを改めているところであるが「家庭医は総合内科の視点が弱い」「総合内科は家庭医療の視点が弱い」「総合内科が生物医学で、家庭医療はそれ以外」これらはすべて極論である。また「総合内科医が病院で家庭医が診療所」というのもまた極論である。
以前4分割の表を出したと思う
医師の働き方は自分の生活や家族状況によってスムーズに変化している。フリーランスや時短勤務、病院と診療所を兼任とか働く場や価値観が流動的・多様的になっているので、病院に家庭医がいたっていいし、診療所に総合内科医がいてもいい。すべてがグラデーションであり、フレームにはめにくくなっているのである。
さらにいうと総合内科と家庭医の分割も曖昧である。家庭医療プログラムに入っていながらも指導体制が総合内科のところもあるし、総合内科コースにはいるが、家庭医療のエッセンスは重要だと思っている人もいる。それが、このグラデーション構造なのであろう。
そこにもっと付け加えると、その場でどう働くのかという能力を試されているのかもしれない。医者は目の前に患者さんがいるから頑張るのだ。総合内科医だろうが家庭医だろうが医者は医者である。私の勝手に作った言葉で言うと「普通の医者」になれればそれでいいのである。あまり細分化された枠組みにいたくないからこの業界に来たのに、そこで細かく分類されるというのは本末転倒な気もする。
もちろん、ある程度の枠があった方がキャリアパスが描きやすいとか、アイデンティティを保ちやすいという事もあるだろう。自分は何者で、どこへ向かっているのかというところである。後進のために道を作るのも大事な役割であろう。
そこで、ここからはただの夢である。
医師の働き方の多様化への対応、学習ニーズの多様化への対応。フェローシップ案。
例えば家庭医としてしばらく診療所を経験したが、ライフイベントの変化などで病院に勤務することになることもあるだろう。語弊があるかもしれないが、病院と診療所では時間の感覚や疾患の重症度、リソースの違いなどもあるため、すぐ環境に溶け込めるか自信のない方もいるだろう。そういう方が病院総合医を始められるようなプラットフォームがあるといい。先ほどの例は家庭医のためのホスピタリストフェローシップである。
逆に病院で働いていた総合内科医が、家庭の都合で急に診療所で働くこともあるだろう。総合診療医は「扱う問題の幅の広さ」とか「地域に目を向けている」などと言われているが、現場に出てみると学校医としての活動や、行政とのやり取り、保健活動のウエートが大きくなってくると戸惑う事もあるだろう。つまり、総合内科医のための診療所フェローシップだってあればいいだろう。
また、どこで働いていてもいいのだが「漢方ってどうやって学べばいいんだろう。」とか「統合医療にも詳しくなりたい」とか「もう少しメンタルヘルスの勉強がしたい」などの学習ニーズは学会でたまに開かれるワークショップで仲間を集めて、勉強を進めていく事が多いであろう。いわゆるスペシャルインタレストグループである。
そもそも日本プライマリ・ケア連合学会を例に挙げると、家庭医療学だけが好きな人たちの学会ではなくて、「いろいろやりたい人」が集まっているのかなと思っている。何か一つのことだけがやりたいのであれば、その道を迷わずすすめばいいのである。病院総合診療医学会には入っていないのでよく分からないのであるが、同じような思想を持っていてたまたま名前が違うだけであればプラットホームはどっちでもいいのである。日本病院会、全日病、JCHO、民医連、徳洲会など病院団体でも同じ志の方は多いだろう。そういう垣根を越えて、学びたい人が集まれる場を提供するが本来ならば学会なのだろうが、その学会も多すぎて何が何だか分からなくなっている。もはや学会主導では限界があるのではないか。もはや所属も年次も関係なく、好きなことを学べる場が欲しいのである。
そんな多様な背景をもったニーズをフェローシップなどで学会主導でまとめるのは限界があるが、学会が作るというよりは各地で自然発生的に立ち上がり、その仲間を集めるプラットホームとして学会があるという感じの方がスピード感が出るのではないか。その勉強会の質を学会が担保するために教育や研究スキルの提供や助言があると素晴らしい。
そういうとSNSや全国区で既にプラットフォームがありそうだが、そこへのリーチのしやすさも今後の課題であろう。特に医学生でもベテランでも学びたい意欲はあるが、窓口がないからわからないという事もあるだろう。乱立した勉強会への紹介・斡旋、新規の立ち上げでの仲間集め一番しっくりくるイメージは
まず複数人の「勉強会のソムリエ」がいて「勉強会の相談」ができる場のようなものをイメージして欲しい。(Webでもローカルでも)
例えば「〇〇を学びたい」という希望があれば、「それならすでにあなたの近所でやっていますよ」と教えてあげるだけで学習者は助かるだろう。あるいはその意見を聞いても「それはとちょっと違う」となれば「それは新規性高いので新たな勉強会立ち上げましょうか?あるいは既存の勉強会のコンテンツに足すだけでもいいかも。Webベースで〇〇で仲間募りましょう」のような感じであれば、新たな学びが創造しやすいのかなと考える。
レジェンドはそういうの考えない。
これは決して炎上を誘うものではない。家庭医のレジェンド級は総合内科の知識も深く、領域別専門医の中でも家庭医療の枠組みの重要性を理解しているか、そんなこと普通に会得していたりする。
私が驚いたのは、私が家庭医療専門医試験を受験した後にベテラン領域別専門医に「こんな問題が出た」とコミュニケーション能力を問う面接試験を紹介したのであるが「そういう経験あるよな。あくまで僕の個人的な感覚だけど、こういうね。」と前置きして、まさに模範解答のような事を仰るのである。ちなみにその数年後、日本臨床倫理学会の評議員にもなられたのだが、すべて独学で関連書籍を読み自身の診療を修正され、当院で臨床倫理コンサルテーションチームを立ち上げ、院内でレクチャーを行い、地域にACPの普及をしている。その前にも独学で感染症をレクチャーできるほどに勉強されたり、あの難解な文章で有名なサパイラも読破されていると知り、レジェンドの勉強法は成書を読みアウトプットするという王道を見せつけられた。
そんなレジェンドの先生が私にかけてくださる激励が、今回のテーマである。
(前置きだけで5000文字行ってしまった)
個人的には一番炎上しそうなのでやんわり穏便に済ませたいところだが、⑥領域別専門医からみた病院家庭医に足りないところ、病院家庭医と領域別専門医とは今後どう協力していくのか(今後の課題)に軽く、本当に軽く触れて、これまでの論考で自らの考えが深まったところについてまとめたいと思う。
領域別専門医に囲まれてジェネラルな病院総合医として仕事をしているのであるが、仕事中にはあまり言われないが、飲み会などで指摘される事がいくつかある。個人の能力のこともあり一般化できないこともあるが、色んな病院総合医の中の一部への意見である事もあれば、結構核心を突くところもあるので、紹介したい。
本当はこの視点でまとめられた文献があれば教えていただきたいが、探した限りあまり見つからない。(今回は複数の文献も参照したが、それが中心の議論ではなかった)
https://www.chichibu-med.jp/director/20150716110352.pdf
https://www.m3.com/news/iryoishin/612446
https://www.nms.ac.jp/sh/jmanms/pdf/011020116.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/101/12/101_3567/_pdf
①家庭医が何をやっているのか分からない(臨床的アイデンティティーの欠如)、どこまで任せていいのかわからない。
どこまで任せていいのかは対話に他ならないが、確かに領域別専門医の先生はカテーテル治療したり内視鏡治療をするというのは非常にわかりやすいが、家庭医しかできないことは何だと問われると、「守備範囲の広さと広いレンズで云々…」というと、「そうじゃなくて、家庭医にしかできないことは何なの?」と言われると非常に悩ましい。
果たしてそんなのあるのだろうか。先述したようにレジェンドは普通に多疾患併存や多職種連携など家庭医療っぽい事を理論抜きでこなすし、幅の広いところで一つ一つに分けてしまうと領域別の医師にはかなわない。私の中では、家庭医の卓越性(専門性ではない)が次なるテーマになりそうだ。このブログで私なりの卓越性は見えてきているが、世界の一流の家庭医なら領域別専門医のレジェント達にわかりやすく伝えられるのだろうか。例えば週刊医学界新聞の藤沼先生の「doing」ではなく「being」というところになるだろう。
ここで紹介されている
①Candib LM and Gelberg L. How will family physicians care for the patient in the context of family and community?. Fam Med. 2001;33(4):298-310.[PMID:11322523]
②Gabbay J, et al. Evidence based guidelines or collectively constructed “mindlines?” Ethnographic study of knowledge management in primary care. BMJ. 2004;329(7473):1013.[PMID:15514347]
③Reeve J, et al. Generalist solutions to complex problems:generating practice-based evidence-the example of managing multi-morbidity. BMC Fam Pract. 2013;14:112.[PMID:23919296]
は改めて紹介させていただく。
ちなみにこれらの論文は過去にすべて読んでいるが、EGP:Expert Generalist Practiceについては藤沼先生のブログに大体書いてあるので、私がまとめなおす必要はないかもしれない。もっとも本文にはmulti-morbidity多疾患併存への介入や、‘complex intervention’ (intervening in a complex system)複雑性への介入についてのこれまでの議論が凝縮されているので、ここを最後まで読まれた方はそれなりに理解していただいたにちがいない。具体的に病院にいるとこの卓越性がどれだけ発揮されているのかという観点ではまとめられるかもしれない。
この文章のCreative Selfという考え方も、Interpretive Medicine(解釈学的医療)を実践する家庭医の卓越性といえる気がする。というか今度の専門医フォーラムで「家庭医の卓越性」について話をすることになっているので、今からどんな話をしたらいいのか悩ましいところである。
②アウトプットが足りない。臨床研究して論文を書け。
領域別専門医の先生方は、研究をして論文を書くことで新しい知見をアウトプットしている。もっと論文をかけ。というご意見である。仰るとおりであり、私の次の課題でもある。ブログには査読はないが多くの御意見をいただけて、内容を見直しやすいところがメリットであろう。SNSなども発達しておりリーチする範囲は広くなっている。とはいえ、学術誌に一生名前が残る仕事というのも自分のやらなければならない所であると感じる。やっている医師も当然いると思うので、これは一個人に向けられたものと考えていただきたい。
③教育の方法が分からない。
これはベテランの先生も領域別の先生も自分が受けた教育でしか理解できないだろう。私が今受けた教育方略しか理解できないのと同じで、そこに優劣はない。ただ、分かってもらう必要はないかもしれないが、共通言語を少しずつ増やしていく必要はあるように思う。そして、その方略や評価を具体的にどうしていくのか、というのをもう少し詰めていきたい。
このような価値観のずれを埋めるために必要なものは。
①家庭医の卓越性を見いだせるような努力をする。
②臨床研究(特に質的研究になるだろう)を継続する。
③教育内容を充実させることと、修了生の質の担保をすること。
になり、対立構造にはならないように少しずつ溶け込めていければと思う。
以上、7回にわたる論考をまとめる。
結局のところ、日本版(南砺版)ホスピタリストに必要なものは?というところには、まだ具体性に欠けるところがあるが、重要なことは
①多様な評価軸で、評価をしっかり行うこと。
その評価軸には総合内科的な興味の領域(臨床推論、診断治療学)も家庭医療的な興味(多疾患併存や複雑性へのアプローチ、多職種連携)も必要になるし、ここから地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)について、ACCCAを軸にしつつも地域のニーズをとらえて自身の形態をアメーバ、カメレオン的に変えるスキルと、その共通言語をもち「とりあえず診る」姿勢を持った家庭医が診療所や他診療科とのハブとなる機能を発揮するために病院にも必要である。
②総合内科と家庭医療のバランス、病院管理能力も診療所能力のバランスも、個人でも組織でもグラデーションを持てる研修にする(トラバター的発想)のと、ホスピタリストフェローシップやジェネラリストフェローシップなどのコースを現場から作り出し、それが集まるようなプラットフォームの一元化が重要(多様性への配慮)
③それらがどこに行くことになっても当たり前にできる「普通の医者」を養成する。
この3点に尽きるのである。
というわけで、かれこれ7回にわたる論考にお付き合いいただきありがとうございました。今日で夏休みが終わってしまったのですが、今までで一番印象に残った夏休みかもしれないです。ありがとうございました。
今後は、本来通り最新文献を紹介する勉強ブログにしたいところですが、この反響の違いを見ると、そういうの必要とされていないのではないか?と思うところもあります。もうちょっと論理的なところとか、家庭医療のコアレクチャーをしたほうが良いのか模索してみます。
色々手広く、勉強していければと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。