日本版(南砺版)ホスピタリストについて考える
前回10000文字を超える記事になってしまった。
よく考えたら、前回までのあらすじが徐々に継ぎ足されているからではないかと思えてきた。わかっている方は読みとぼしていただければ幸いである。
写真:1996年のNEJMのホスピタリストの論文。この論文の紹介だけで終わりたいぐらい大事な論文です。
これまでも数回にわたり、私が普段しているホスピタリスト(病院総合医)に関わるお話をさせてもらっている。この話を何故することになったのかというと、最近総合診療界隈で、病院総合医というもののキャリアパスに対する動きがあり、私も後輩にキャリアを提示するうえで「自分が何をしているのか、どうありたいのか、なぜこのブログのタイトルが病院”家庭医”なのか。」を明確にする必要があると感じたからである。徐々に明らかになっていると思うが、家庭医療のエッセンスも勉強になるように書いているので温かく見守っていただければ幸いである。
南砺版ホスピタリストに関する考察
①普通の医者とは何か(学習者のニーズ)
②地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)
③アベンジャーズスタイルだけでは問題があるのか(病院家庭医の必要性)
④地域の小規模病院(コミュニティーホスピタルともいいます)をみる日本版ホスピタリストには何が求められているのか(諸外国のホスピタリストとの役割の違い)
⑤ホスピタリストのキャリアパスについて(キャリア理論について)
⑥領域別専門医からみた病院家庭医に足りないところ、病院家庭医と領域別専門医とは今後どう協力していくのか(今後の課題)
これまでは富山の田舎の病院が総合診療に力を入れるようになった歴史についてお話しした。総合診療について情報が乏しかった医学生時代から小規模病院で家庭医療が役に立つと信じて進んできた私の今までのキャリアを説明した記事になっている。
そして、実際に当院の目指す普通の医者になるためには、高い目的とそれにフィットする適切な方略、そして質を担保できるような内省的かつ多面的な評価が必要であることを紹介してみた。
ここから地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)について、ACCCAを軸にしつつも地域のニーズをとらえて自身の形態を変えるスキルと、その共通言語をもち「とりあえず診る」姿勢を持った家庭医が診療所や他診療科とのハブとなる機能を発揮するために病院にも必要であるという話をした。
そして、総合内科医と家庭医の違いは、複雑性へのアプローチや多職種連携などへの興味や教育に対するウエートの違いではないかと論考した。
今回は④地域の小規模病院(コミュニティーホスピタルともいいます)をみる日本版ホスピタリストには何が求められているのか(諸外国のホスピタリストとの役割の違い)
というテーマで書いてみる。
そもそも日本版ホスピタリストという言葉はどのようなイメージなのか。
参考になるのはJHospitalist Network (JHN)のホームページであろう
雑誌「Hospitalist」を購読されている方も多いであろう。
(このHPは非常に勉強になるのでお勧めである)
このページの挨拶には、こうある
「米国では古き良き時代の外来から入院患者のシームレスな管理をするgeneralistから、より入院患者に特化して重症患者管理がある程度対応できるホスピタリストへシフトしてきている。本邦でも、2017年度より、新専門医制度が導入される予定であり、新総合内科専門医や、総合診療専門医が誕生することとなる。米国では、学会と独立する卒後医学教育認可評議会(Accreditation Council for Graduate Medical Education:ACGME)が研修内容を監督している。国内では、未だ、総合内科の卒後臨床研修が確立されておらず、総合内科医のテキストを作成することを目的に、雑誌Hospitalistの第一号(特集:ホスピタリスト宣言)を2013年9月に刊行した。同年12月には、日本全国の研修病院の実臨床現場で活躍をしている総合内科医にお集まりいただき、第一回のHospitalist用のホームページ運営委員会を開催した。そこで、我々グループの呼称として、JHospitalist Networkが誕生した。このグループは、日本全国で活躍されている総合内科医の情報提供をして、国内に総合内科教育の普及を図ることを目標においている。」
「日本版ホスピタリスト助成【短期研修】【長期研修】」の募集のところに
※米国におけるホスピタリストとは「入院患者に対して、特定の臓器や疾患の診療にとどまらず、包括的な医療を提供し、病院及び医療システムのパフォーマンス向上、価値の高い医療の提供に尽力する」医師を示す。特に日本の制度、システムの中に適応させたものを日本版ホスピタリストと称することとする。
日米医学医療交流財団会長 黒川清先生による紹介文でも、皆さんご承知のとおり、現在の少子高齢化社会における日本の医療課題である、認知症患者の増大や医療費の問題を解決するためには、今までのタテに分科してきた専門医の育成ではなく、皆さん方のような、プライマリケア、総合内科をキチンとやれる医師の育成が極めて重要です。
とある
つまり、米国は昔は外来から入院までを継続して診ていたジェネラリストだったが、入院に特化させるホスピタリストに分業し、臓器や疾患にとどまらず、包括的医療であり、病院の質改善や価値が高い医療を提供する医師を養成することになった。日本も自国の制度やシステムに適応できるようなホスピタリスト(プライマリケア医、総合内科医)が必要である。という事である。家庭医という名称をあえてプライマリケア医としているのだと思うが、ニュアンスは同じなのでそのまま話を続けていく。
そもそも米国ホスピタリストが脚光を浴びたのは、1996年のNew England Journal of Medicine誌にUCSFのWachterとGoldmanがThe emerging role of "hospitalists" in the American health care system. という論文を出した事がきっかけであろう。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJM199608153350713
この内容は日を改めて紹介したいぐらいの重要論文である。
当時のgeneralistは包括性と継続性のマインドがある内科、小児科、家庭医療が重症患者の入院管理から外来フォローまでケアを提供していたのが理想的だった。自分のオフィスと契約病院を行き来するスタイルである。その方が、コストもかからないとされていた。ところが米国のマネージドケア(1990年代に誕生した保険会社が医療内容の監視を行う保険制度の効率化)の考え方から、在院日数の短縮化と入院患者の重症化の対応のため入院管理に特化したホスピタリストが必要とされるようになった、カナダやイギリスの都市部の病院では中心的役割を果たしており、米国でも増やしていかなければならない。という文章である。
そもそもhospitalistのルーツはGeneral Internal Medicine(総合内科学)にあり、hospitalistは”hospital-based general internist(病院基盤型総合内科医)”であるようだが、文中ではホスピタリストの就業パターンにも3つの傾向があるとされている。
一つは純粋なフルタイムのホスピタリスト(病院に雇用されているパターン)
2つ目はThe Park Nicollet Medical Group, a large multispecialty practice in Minneapolis, uses a hybrid model with two full-time hospitalists complemented by rotating general internists and family physicians. (Kilgore C. Some internists bid farewell to rounds. Internal Medicine News. March 1, 1995: 1,33. )
という文のように、ミネアポリスにあるパーク・ニコレット・メディカルグループでは総合内科と家庭医の交代で補い合うハイブリッドホスピタリストモデル
そして3つ目はSome medical groups, such as the Scripps Clinic in La Jolla, California, use a rotating schedule of primary care physicians, each of whom is the “dedicated admitting physician” for week-long tours of duty. (Brandner J. Will hospital rounds go the way of the house call? Managed Care, July 1995:19-28.)
という文のようなカリフォルニア州のスクリップス・クリニックのようなプライマリケア医が週単位の義務でdedicated admitting physician(入院専門の医師)をするホスピタリストがあり
これら3パターンとも、入院日数、コスト、専門家へのコンサルトを減らしたとある(Gipe B. Cost & Quality 1996;2:6.)
またホスピタリストを整理するための最も効果的な方法として
In both academic and nonacademic settings, the most effective way to organize hospitalists may be as a multispecialty group. Envision a model for a large integrated health care system in which a team of hospitalists — some trained as generalists, others as specialists — shares responsibility for the management of inpatient care.
つまり、ジェネラリストとスペシャリストの混合チームで入院ケアをして責任もマネジメントもシェアするのが良いという論調になっている。
ここで興味深いのは最後の部分。
Despite this optimistic vision, objections to the hospitalist model, not surprisingly, come from both generalists and specialists.
Hospitaliモデルへの反対意見は、ジェネラリストからもスペシャリストからも両方から来たのである。プライマリケア医は継続性を大事にして、入院中にその患者のケアを担当したがるという反対意見であり、領域別専門家からはスキルのあるホスピタリストから全然コンサルトが来なくなってしまうのではないかという懸念をしていたのだ。
実際はHospitalistはそこまで入院ケアを必要とされないので、外来で診ているプライマリケア医も安心したが、領域別専門家がコンサルトされなくなり報酬が減ってしまうというものへの対処が難渋したようである。そりゃ政策で仕事内容が激変するんだから反論が出ても当然だと思う。
そして現在の米国Hospitalistの役割は最初はチーフレジデントのようなもの(医学生・研修医教育、職種間、院内部門間の調整、他の医療機関との交渉、上級医への対応)に加えて、感染制御、栄養管理、医療安全、医療情報など院内の横断的部分(医療の質・安全向上のリーダーとして)の重要性が高まり、SHM(Society of Hospital Medicine)の取り組みを見ていても明らかであろう。
結局は分業が進んだのであるが、この論文に書かれている議論は、generalist vs specialistの構図のようにみえるが、文をよく読むとそこに家庭医も加わっているのである。日本で行われている議論と共通するところが多いと感じる。
英国やカナダに倣ってホスピタリストを導入した米国の医療事情は
・マネージドケアのため一層のコスト意識をせざるを得ないようになった。
・都市部の医者が揃っている地域での医療配分に悩まされていた。
つまり医療政策から「診療の場を分ける事」ありきで話が進められているのであるが
日本のホスピタリスト議論にそのまま当てはめにくいところがある。
日本の医療が米国と違うところは
①国民皆保険、介護保険、フリーアクセスである。
②高齢化が進み、多疾患併存や多職種連携の必要性が高い。
③領域別専門医の割合が他国よりも多く、都市部に集中している。
④医学部卒業後に総合診療・家庭医療に進む医師が少ない。
と言われている。まさか自分の文字起こしがここで役立つとは…。
上記の視点を踏まえると、国民のニーズが多様化しており、医師の数も総合診療が少なく流動的であることが分かる。そのような現状を鑑みると「診療の場」だけの議論でなく「国民から求められる診療姿勢」で分類すべきではないかと考える。
この分類はすでになされていた。
小泉俊三先生が日本内科学会誌(100:3687~3693,2011)で使用した図を引用すると
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/100/12/100_3687/_pdf
大規模病院には病院総合医(病棟管理や横断的役割)と領域別専門医(技術担当)
地域の中小病院は病院家庭医(病棟)と領域別専門医(外来と技術担当)がいると良い
という区切り方である。
ところが今回私の求めている地域密着型中小病院(コミュニティーホスピタルと呼ばれる)における病院総合医は研修病院でありながら地域コミュニティーにいるため、総合内科の能力だけでなく家庭医療の素養も必要になってきてしまうのである。だから「内科」とか「一般内科」とか「総合内科」と言われたり、家庭医が必要だとか言われたり、混在してしまうのである。一番微妙な立ち位置と言える。
これは病院総合医と家庭医をわけた図になっているが、このグラデーションの構造はしっくりくる。つまり、先ほどの家庭医が必要なのかそれとも総合内科医が必要なのかという微妙な立場は、病院の規模と国民からのニーズで決まってくるのではないかという分類である。
(この論文を読んでいくと、私の医局の教授である富山大学総合診療部の山城清二教授が旧・日本総合診療医学会で病院総合医の世話人であったという歴史も紹介されている。門下生がブログで引用していることをご存じなのだろうか。不思議な縁である。)
これまでの中小規模病院では「家庭医」の役割と「病院総合医」の役割と「領域別専門医」の役割が混在していた医師で成り立っていたのは第1回から話していたアベンジャーズスタイルのことである。この規模の病院では1人3役ぐらいこなさなければ回らないという現状があったのである。これでは医療崩壊が起こる地域があっても無理はない。
ところがこのグラデーション構造からも分かるように、病院家庭医と総合内科医がグラデーションに加わると、中小規模病院での様々な補完が進むのではないか。
つまり、中小規模病院に求められている、医学生・研修医教育、職種間、院内部門間の調整、他の医療機関との交渉、上級医への対応に加え、横断的機能(医療の質・安全向上のリーダー)、さらには地域住民のニーズとなりうる地域包括ケア病床や、在宅医療を担う医師を、病院家庭医と総合内科医がそれぞれをオーバーラップさせながら担っていけばよいのではないかと考える。
あえて病院家庭医が全てであるという論調にしなかったのは、私のキャリアパスで総合内科を経験してこなかったところにある。私自身が家庭医療に重きを置いているスタンスであるため、家庭医療を前面に押し出しすぎているのではないかと感じるところがあるのだ。そうはいっても、私も最新の医学論文でアップデートしたり専攻医から情報をもらいながら病院でそれなりに仕事をしているため、総合内科と家庭医療のバランスは7:3ぐらいだろう。(数字に根拠はない)むしろこのブログをやるようになった反響で、この人、家庭医療の知識、意外とあったんだ…と再認識されたこともあるので、割合で語るのは難しいが、それぞれの領域を高い水準で高めていきたいと思っている。
もし総合内科研修で複雑性や多職種連携について興味を持って取り組んでいるのであれば、家庭医療が重要だと声をあげる必要もないのであるが、全く興味もない(総合内科:家庭医療が10:0)と言われれば少しはやろうぜと言いたくなるのである。これは逆に家庭医療だけしか研修していない医師が、臨床面で病院でさっぱり通用しないという背景が米国であると過去の記事でも紹介した通りである。
とはいえ、そもそもそんな極端に偏っている医者がいるだろうか。家庭医療研修を受けていても臨床推論が得意な者もいれば、そうでもない者もいるのと同じであり個人差のようなものである。グラデーションでいうところの総合内科と家庭医療の割り振りが9:1の人から6:4ぐらいであれば、中小規模病院で活躍できると思う(数字に根拠はないが、ちょっとは家庭医療も学んでおくといいという気持ちである)
もっともこのようなバランスの議論はこれまでもおそらくされてきたであろう。実際に、病院に家庭医がいれば…という声があったり、病院に総合内科医がいれば…という声もある。皆、ないものねだりをしているのだ。こればかりは、カリキュラムのせいにするのではなく、自分の診療のスタンスがどちらなのかの傾向をつかみ、足りないものを補っていき、強みを伸ばしていくことが生涯学習である。そして組織単位でも、今の組織にはどちらの傾向が強くて、何が足りないのかを補っていくというのが、組織力を高められる病院総合医カリキュラムなのかもしれない。
分かりやすい案は、病院総合医コースの中で自身の強み・弱み・興味の有無に応じて臨床推論カンファレンスと家庭医療カンファレンスの配分を変えることができたり、受け持ち症例の複雑性を調整できる流動的なプログラムとして、本人の希望や能力、不足していると感じるものを定期的に振り返りながら、オーダーメイド采配ができる指導医が総合内科寄りな医師と家庭医療寄りな医師の複数人いると理想的である。(この振り返りができるというのがミソである。)
そんなに急にできないのであれば、病院間での人材交流というのも現実的であろう。家庭医療カンファレンスはしっかりしているが臨床推論や集中治療は弱い病院と、その逆の病院でのローテーションというのも他流試合を経験する上では良い。ただし継続性は保ちたいところなので、できれば同じ医療圏にそのような連携施設があればプログラムは強固なものとなる。
また、同規模の病院の交流だけでなく、他の規模の病院での交流の余地もあると思う。自分がなりたい姿はあるとは思うが、そこ以外の世界を見ておくというのは、見識が広がり、何らかの糧になるはずである。病院家庭医が、診療所家庭医と共通言語があると良いというのと同じで、大学病院や大規模病院にも家庭医と共通言語があるのであれば、患者さんにとっては大きなメリットである。ただ、もしも私が大規模病院で総合内科医のような仕事をすることになると、在宅医療を封じられたり、レスパイトの相談に乗れなかったり、家族カンファレンスで満足度の高い提案ができなかったり、患者さんに今まで通り濃厚に関わることができなくなるかもしれないというフラストレーションがたまりそうである。そういう経験をすることも無駄にはならないし、自分の能力に何が足りないのか、自分が本当にしたいことは何なのかに気づくことになるだろう。そういう振り返りをしてくれるメンターがいるという事は、環境の変化が起こってもバーンアウトを防ぐことができるので、その重要性はますます強調されるかもしれない。
今回の考察で、少なくとも私の頭の中身は整理されたのでまとめると
・総合内科医と家庭医療の対立構造ではない。総合内科:家庭医療のバランスが大事。
・バランスとは言え、半々である必要もない。病院にいるなら総合内科寄りで良い。
・ただし、家庭医療が得意とする複雑性のケアや患者中心性などの能力も必ず臨床で行き詰った時に生きてくるので、ゼロは良くない。
・逆に家庭医療に詳しくて臨床はイマイチというのは論外。
・とはいえそんな極端なケースはまれであり、そんなことを想像してしまうのは相手をよく知らないから起こるのである。
・お互い顔が見える関係を作っていったり、合同カンファレンスしたり、病院間の人材交流の機会があれば少しずつ良いプログラムになっていくだろう。
・自施設のプログラムをよくしたいのであれば、専攻医一人一人の総合内科:家庭医療のバランスや、将来どうしたいのか、自分の強み・弱み、追加したほうが良いものを、総合内科と家庭医療の指導医とで振り返りを行い、最低限のバランスを保つのが望ましい。そして施設全体のバランスも見直しながら、多施設との交流を行うとさらに発展していくに違いない。
ここでやめとけばうまく収まりそうなのだが、最後にどうしても書きたい余談がある。
トラバターとパワプロの話である。
トラバターとは?
これは亀田ファミリークリニック館山の岡田唯男先生の話で気に入っているのだが
皆さんも読んだことがあるであろう、ちびくろサンボのお話である。
両親から新しい靴・上着・ズボン・傘をもらった少年サンボは、竹藪に出かける。しかし通りかかったトラたちに喰われそうになり、身に着けたものを一つずつ与えることで許してもらう。サンボは裸にされて途方に暮れる。
一方トラたちは、戦利品を奪い合って木の周りをぐるぐる回りはじめる。その間にサンボは、与えたものをすべて取り返すことに成功する。
トラたちは最終的に溶けてギー(インドのバター)になってしまう。サンボ一家はそのギーでパンケーキを焼いたというお話である。
本来はこの話で出てきたものではないのだが、私の中で、病院総合内科も病院家庭医もぐるぐる回っているうちに、解けて混ざってしまって欲しいと期待している。私がこのブログを書いている1回目からずっとこのイメージで話をしていたので、共有できればと思い紹介した。
もう一つの、パワプロとは完全に私のオリジナルな、しょうもないお話である。
パワプロとは実況パワフルプロ野球というテレビゲームの略である。
いわゆるただの野球ゲームである。
(私は野球に詳しくない、このゲームも持っていない)
なのでゲームの説明は残念ながらできないのだが、各選手の特技とそれぞれの評価が細かく書かれているのがこのゲームの特徴で育成モードというものもあるようだ。
私の頭の中では、先ほどの総合内科、家庭医療のバランスを話すときに、すべての項目をAにして欲しいとは言わないが、どのぐらいが病院総合医としてどの項目が必要で、それがどのぐらいあれば最低ラインなのかを考える時に、どうしても浮かんでいた。
数値化できない項目だとは思うし、他者の評価が低くても、患者さんのアウトカムが良ければそれは評価する側の尺度が間違っているのかもしれない。ただ、自己省察という点からは、自分を客観的に見つめなおして成長を実感するときにイメージしやすいのかもしれない。では自己の成長を振り返るときにどういうやり方があるのだろうか。
というわけで、次回
⑤ホスピタリストのキャリアパスについて(キャリア理論について)
に続きます。(パワプロからうまくつなげたと勝手に自己評価しています)
(そして雑談入れたせいで合計10070字でした)