日本版(南砺版)ホスピタリストについて考える
この導入から始まる記事もかれこれ4本目である。
前回は7000文字オーバーになってしまったが、今回も長くなりそうだ。
写真引用:Cynefin framework - Wikipedia
今日はこの写真について説明していきたい。
こりゃおそらく短いまとめにはならないであろうことは容易に想像できるであろう。
これまでも数回にわたり、私が普段しているホスピタリスト(病院総合医)に関わるお話をさせてもらっている。この話を何故することになったのかというと、最近総合診療界隈で、病院総合医というもののキャリアパスに対する動きがあり、私も後輩にキャリアを提示するうえで「自分が何をしているのか、どうありたいのか、なぜこのブログのタイトルが病院”家庭医”なのか。」を明確にする必要があると感じたからである。徐々に明らかになっていると思うが、家庭医療のエッセンスも勉強になるように書いているので温かく見守っていただければ幸いである。
南砺版ホスピタリストに関する考察
①普通の医者とは何か(学習者のニーズ)
②地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)
③アベンジャーズスタイルだけでは問題があるのか(病院家庭医の必要性)
④地域の小規模病院(コミュニティーホスピタルともいいます)をみる日本版ホスピタリストには何が求められているのか(諸外国のホスピタリストとの役割の違い)
⑤ホスピタリストのキャリアパスについて(キャリア理論について)
⑥領域別専門医からみた病院家庭医に足りないところ、病院家庭医と領域別専門医とは今後どう協力していくのか(今後の課題)
これまでは富山の田舎の病院が総合診療に力を入れるようになった歴史についてお話しした。総合診療について情報が乏しかった医学生時代から小規模病院で家庭医療が役に立つと信じて進んできた私の今までのキャリアを説明した記事になっている。
そして、実際に当院の目指す普通の医者になるためには、高い目的とそれにフィットする適切な方略、そして質を担保できるような内省的かつ多面的な評価が必要であることを紹介してみた。
ここから地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)について、ACCCAを軸にしつつも地域のニーズをとらえて自身の形態を変えるスキルと、その共通言語をもち「とりあえず診る」姿勢を持った家庭医が診療所や他診療科とのハブとなる機能を発揮するために病院にも必要であるという話をした。
文中に出てくるアベンジャーズはその1に出てきますが
領域別の専門家がお互いの領域をカバーしあいながらも何でも診るスタイルをいわゆるアベンジャーズスタイルと定義します。
参考:アベンジャーズ
今回は、「アベンジャーズスタイルだけでは問題があるのか」であったが、まず前回力尽きて語れなかった病院家庭医に紹介される複雑な患者様の対応について述べる。ちなみに前回は雑に一言でいうとアベンジャーズスタイルが苦手とする領域である。と書いてしまい、言葉足らずで炎上したらどうしようかと怯えていたが、そんなに影響力のないブログだったのかもしれない。(とはいえアクセス数は500人/日越えたようですので反応が気になるのが正直なところ)読んでいただける皆様には、読み終えたときは何か一つでも家庭医療の面白さが伝わればよいなと思う。
不確実性・複雑性とはなにか?
例を挙げると「コントロール良好な高血圧と脂質異常症があり、なかなか喫煙が辞められない慢性閉塞性肺疾患(COPD)の65歳男性です。今後は貴院での加療をお願いします。」という紹介があるとしよう。これは、非常にわかりやすい。禁煙の行動変容をしつつ、他の医学的問題の介入をするだけであれば、COPDのガイドラインを知っていれば難しいと感じることはないだろう。
こういうガイドラインを参考に
①現状の改善( 症状およびQOLの改善や運動耐容能と身体活動性の向上および維持)
を期待して現在使用している薬剤を確認したり、抗コリン薬や気管支拡張薬を開始したり、喘息の合併がないか呼気NOなども測定してみたり
②将来のリスクの低減(増悪の予防や全身併存症および肺合併症の予防・診断・治療)を意識して副鼻腔の評価をしたり、禁煙指導したり、予防接種したり、急性増悪などのイベントが発生したら対応するという管理などをしたり
という呼吸器内科医の先生と大幅に変わるような診療ではないはずである(領域別専門医に負けていないという意味ではなく、専門医が専門性を発揮するのはいわゆるコモンディジーズの管理よりもより専門性の高い疾患に特化していたほうが、貴重な医療資源が枯渇しないという意味である。)
ではこうなるとどうか
「コントロール良好な高血圧と脂質異常症と糖尿病があり、なかなか喫煙が辞められない慢性閉塞性肺疾患(COPD)の65歳男性です。健診では腎機能の悪化傾向と顕性蛋白尿も最近指摘されたようです。近医整形外科で変形性膝関節症に対して関節注射をされており、眼科の年1回のフォローアップも予定されています。今後は貴院で内科の加療をお願いします。」
なんかちょっとプロブレムが増えました。とはいえガイドラインの域を出ないので
やCKD診療ガイドライン2018を参考にすれば、領域別専門医にちょっと早めに相談したりすることもあるだろう。関節注射も通院が大変なら当方ですることも可能である。眼底の評価は眼科医にお願いしたいところだが、眼底鏡を自分で答え合わせすると力がつくだろう。
少し脱線するが、家庭医に対して指摘をされる内容には「何も考えずに専門家に疾患を割り振りすぎるのでちゃんと見て欲しい」あるいは逆に「悪化するまで専門家に振らないのが困る」とかいう匙加減の問題がある。これはひとえに顔が見えない関係だから起こると考えている。対話が足りないのである。
これは、どこかに書いてあるわけでもない個人的な意見だが、最初は早めに紹介して、領域別専門医にお礼をしつつ「先生いつもありがとうございます。あの方どうなりましたか?」という挨拶を重ねつつ「実はこんな感じでガイドライン遵守してしまうと、まだまだ紹介差し上げたい患者さんもいるのですが、このまま先生への紹介ばかりするよりも、カルテでちらっとだけ見て何かやっておいた方がいい事などがあればご教示いただくだけでも大変ありがたいのですが」のように少しずつ関係を築いていくと「カルテに経過と方針が明記してあるので紹介は今後の先生のタイミングでお任せします。」とか「そのぐらいなら先生診れると思います」「先生が紹介してくるのは難しい人ばかりだね」となり、患者さんにも医療者にもWin-Winな関係が生まれる。
関節注射もそうだ。勝手にどこの馬の骨か分からない家庭医とかいうやつらが関節注射して化膿性関節炎にでもされたらたまったものではないと思っているかもしれない。そういう時にも一度手技をみせてもらえばよい。ちょっとした流派の違いもあるし、共通言語もあるだろう。見せてもらって、やらせてもらうような感じになり、免許皆伝を頂ければ開始する。ゆっくりとしたプロセスに思われるかもしれないが、それが良好な関係を産むと考えている。文化は急に変えないほうが良い。じっくり混ぜていくのである。
または、病院のシステムや医療安全の観点から、仕事の分業化を推奨されることもあるだろう。「この病気は〇〇科が診る」とか「この手技は〇〇科がする」という感じである。私はそれもありだと思う。何でもやりたがるのではなく、あくまで患者さんの負担を第一に考えればよい。分業化できるだけのリソースがあり、患者さんがそれを幸せと考えているのであれば、それが地域のニーズに他ならない。
脱線したが、疾患が複数になってもガイドラインの組み合わせで何とかなるのであれば、そこまで大変ではないであろう。
ではこれはどうか。「コントロール不良な高血圧と脂質異常症と糖尿病があり、なかなか喫煙が辞められない慢性閉塞性肺疾患(COPD)の65歳男性です。最近、腎機能の悪化傾向と顕性蛋白尿も最近指摘されたようですが食生活も不規則です。近医整形外科で変形性膝関節症に対して関節注射をされていますが通院もまばらです。眼科の年1回のフォローアップも受診できていません。独居生活で周囲からは「ゴミ屋敷」と言われています。今後は貴院で内科の加療をお願いします。」
もうこうなると、ガイドラインには書いていない。ゴミ屋敷という時点で、あまり関わりたくないと考える方もいるかもしれない。「複雑な患者さん」というくくりにして、そっとしておこうとか、家庭医の中でも「不確実性に耐える」といいながら安定化をめざすこともあるだろう。
ゴミ屋敷とひとくくりに言うが、これは「ためこみ症」という疾患である。これまでcompulsive hoarding(強迫的ためこみ)として強迫性障害の亜型とされていたが、2013年、DSM-5から「実際は価値がないにもかかわらず、所有物を捨てたり手放したりすることが持続的に困難な状態。」と定義された。特徴は、①物を大量に集める、②整理整頓ができない、③捨てられない‐の三つ。重要な情報を失う恐怖から積極的かつ受動的に収集してしまうのが特徴で、認知症や統合失調症、注意欠陥多動性障害(ADHD)、小児であればPrader-Willi症候群(PWS)なども物をためることがあるが、こうした病気の影響を除いても症状があると、ためこみ症と診断される。
勘違いされやすい点として、一般にいう収集家はため込み障害のそれとは異なり、集める物は限定され、整然と並べられ、苦痛や社会的障害はないが、ため込みは、集める物は限定されておらず、物は雑然と置かれ、苦悩や社会的障害を呈する(Nordsletten et al, 2013)最近は認知行動療法の有効性が検証されていたりする。実際の治療経過はここを参考にされると良いだろう。
https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2017/10/66-9-12.pdf
脱線ばかりしているが、要は臨床研究ではっきり解決している問題とまだ解決していない問題がありグレーゾーンの中で臨床をしているのである。そんな不確実(uncertainty)で複雑(complexity)な患者さんに対して、自身に及ぼす影響を理解しつつも、それらに対処するスキルを身に着けているのが家庭医なのである。
「不確実で複雑」とまとめているが厳密にはもっとあり、この2つも異なるものである。アプローチは同じなのでまとめてしまってもよいかもしれないが、ここからは興味がある方は少し我慢して読んで欲しい。
皆様はVUCA(ブーカ)という軍事用語の分類をご存じだろうか。これは、Volatility(変動性)、Uncertainly(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の4つの概念を並べた言葉で、1990年に米国の同時多発テロがきっかけで、これまでの国対国の戦争とは異なり、分析や対応が難しくなったことを背景に”予測不能な状態”を表す言葉として生まれ、2010年代からはビジネスの領域で予測不能な状況での視点や行動や判断が浸透し、医療でも応用できるのではないかとされている。
Volantali(変動性)とは変化の質や量やスピードが予測不能であるという事である。EBMの世界ではエビデンスの賞味期限は5年と言われていて、IoTやAIなどの技術革新によりイノベーションの予測はさらに困難になっていることなどである。
Uncertainty(不確実性)は問題や出来事の予測が困難であるという事である。社会においては災害の予測が困難であることや、終身雇用制など従来あった制度が崩れて非正規雇用が増えるなど社会の変化もあるし、医学的なところではガイドライン通りにはいかない疾患の予測困難な状態を指す。
Complexity(複雑性)は既存の枠を超えた個人や社会の関わりもあります。社会で言うとグローバル企業が一国の変化によって他国の市場にどのような影響があるかという意味ですが、医療においては、各疾患の絡み合いや、個人の性格や分化、社会的状況(貧困・居住・保険・家族状況)高齢化による多疾患併存やフレイルが疾患に影響を与える可能性があることである。
Ambiguity(曖昧性)は、できごとの因果関係が不明で、前例が少ない、あるいは無いということを示している。医学の不確実性と同じであるが、これは変動的で不確実で複雑であるからこそ曖昧性を深めているわけである。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/spinalsurg/32/2/32_119/_pdf/-char/en
VUCAを科学的に分析して正解を出すことが難しくなっており、AIに新たなアルゴリズムを学習させる経営手法もあるぐらいだ。変化の多い世界でのビジネスでは事象や環境を観察し、自分自身を認識(Education)し、対話・議論(Dialogue)を行い、ビジョン(Vision)に基づき直感的判断をする(Action)という手法が唱えられている。
これを我々の診療に当てはめると、複雑な事象をリスト化し、それぞれの要素が組織的な集合体であることを理解し(システム理論ともいいます)、主治医や医療者もそのシステムの中にいることを自覚し、因果関係論ではなく一つの要素がさざ波のように全体に及ぼす多面的な影響を考え、対話や議論を行ったうえで安全そうな直感的判断を試し、一つの答えを求めるのではなく、全体にどう影響したのかを考え、その振り返りをおこない自分が本当に正しかったのかを自問自答しながら少しずつ影響していく(省察的実践という)というスタイルを取ることが多く、エビデンスに基づいたサイエンスの観点と、それでは早急に判断しにくい複雑で不確実なものへの柔軟な対応を適宜行ったり来たりしながら患者の対応をしているのだ。
実臨床で複雑なもの・不確実なものに対する概念的なアプローチには日本プライマリ・ケア連合学会誌の宮田靖志先生のまとめられたCynefin framework(クネビン・ネットワーク)を用いて理解されると有用である。
Cynefinフレームワークとは1999年にナレッジマネジメントの研究者であるDave SnowdenがIBMグローバルサービスで開発されたものである。(Cynefinは生息地、出没、知り合い、なじみを表すウェールズ語です)これは、部族、宗教、地理など全体の中のつながりがどうなのかという「場所の感覚」を理解するために開発されました。
それが、これである。
…分かる人にはわかるが、ちょっと厳しいだろう。
ごちゃごちゃしているので、分かりやすくするとこうなる。
図の緑色の丸は解くべき問題で、赤い丸は解決策である。問題を結ぶ線は問題間の依存関係を表わす。直線であればその関係が明らか・導出可能で、点線の場合は解が不明であることを示すのである。
4つのドメインを説明すると
Simple / Obvious(単純な) Knownともいう
解くべき問題が自明で問題も安定している。既知の解を適用することで解決できる。問題を把握(Sense)し、分類(Categorize)し、対応(Respond)することで解決する。ベストプラクティスとも言う。
Complicated(込み入った) Knowableともいう
解が1つ以上あるもので、因果関係は既知だが正しいという保証はない。なので問題を把握(Sense)した後に専門知識を適用して問題構造を分析(Analyze)し依存関係を明らかにして対応(Respond)する。グッドプラクティスともいわれる。解は一つではなく最良の解が未知なのが特徴である。
Complex(複雑な) Unknowable ともいう
解が未知である。変化しやすく、問題間の依存関係は、問題が解決するまで明らかにならないため、問題と状況をまず調査(Probe)し、把握(Sense)し、問題に対処(Respond)する必要がある。変化するので何度も作業を繰り返す必要がある。このようなプロセスは実験的ともいわれる。問題を探索する活動で解法が見つかることもあるので創発ともいわれる。つまり解が未知で状況が変化することと、解決策を得るための方法にはある程度のパターンがあることが特徴である。ちなみに複雑性の決定要因は①多元性、②相互依存性、③多様性である。
Chaotic(混沌とした) これもまとめてUnknowableともいう
問題が何なのかも不明。もちろん解も分からない。問題状況を制御することもできない。まず対処のための行動を起こしてみる(Act)ことと、状況を把握する(Sense)し対応する(Respond)ことだが、混沌とした状況をすこしでも複雑な状況に移行させることが目的である。
この図を行ったり来たりして、問題を進めていくことにあるのだが、真ん中に無秩序(disorder)というところもあるのが分かるだろうか。これは上記の4つのいずれでもない状況で、例えば多くの人が自分の意見を言い合っている状況で、関与者の混乱のためある人は単純な問題だと主張し、ある人は複雑な問題まで視野を広げていて、ある人はカオスな状況だと言っているのである。(例:治療可能な高齢者の癌を治療するかどうか)それぞれの言っていることは正しいが誰も全体が見えていないのである。こういうケースもままあるのではないか。これを上手に交通整理できるのも複雑なケアの腕の見せ所かもしれない。このカテゴリーと改善策を使いながら不確実で複雑な状況を解決するのである。
複雑なケアの重要な点で、どう対応するかの前に重要な点がある
①本当に患者側が不確実で複雑なのか
②医師側に問題はないのか
というところを問い直す事である。
先述の宮田先生の論文では医療における不確実性には技術的要因によるものと医師患者関係から起こる不確実性と、概念がそもそも当てはまらないものがある。
また、医師・患者側のそれぞれの要因はこのように大別される
早い話が、複雑な患者さんだと思っていたが、見る人が見ればなんてことはないものだったりするし、医師側の頭の中が複雑だったということもあるのだろう。
あるいは、不確実なものに対峙した時の医師の反応には、不安を感じたり、悪い結末を懸念したり、不確実性を患者に開示することに抵抗を感じると言われている。意思決定の権威を喪失することを恐れることからくるが、医師の負の対処行動からくるものには、入院や検査の増大、高次医療を行ったり、精神疾患、老年病、慢性疼痛に陰性感情を抱くのである。検査は確実なものであるとエビデンスを誤用してしまうことが多いので、エビデンスに内在する不確実を認め、変化する優先順位や状況に暫定的に対応することが重要である。
不確実なものを経験すると不安をいただくことがあるだろうが、他者の主観の不明瞭さを尊重することで、省察する機会が与えられる。自己の成長はcomfort zoneではなく、leading zone(stretch zoneともいう)で鍛えられる。
複雑すぎず、不確実過ぎないカオスのedgeと言われるchaosからcomplexに引っ張り込んだところを経験することで、成長を実感できるのである。
ここまでが、家庭医療の基本的な概念でした。
気が付けば8000字になっているので、そろそろ本題に入ります。
アベンジャーズスタイルも病院は回るが、もっとよく回るために家庭医がいる。
私のいる病院は良くも悪くも古い病院なので昔ながらの何でも診る地域を支える医者がいるという事は第1回でお話しした通りである。他にも全体的な診断能力が優れていたり、領域別の専門以外も診れそうなら自分で診るし、多職種のサポートが手厚いのでコーディネートしやすい環境だと思っていたが、私はそれが「普通の医者」であり、病院家庭医は不要なのではないかと思っていたこともあった。
ところがある程度年次が上がってくると、何でも出来ているようにみえていた領域別の専門医の先生のアプローチに、専門領域を念頭に置いている傾向があることが見えてきた。そりゃそうだ、専門家なのだから。特定の疾患に引っ張られやすくプロブレムが抜け落ちたり、診療科の狭間に落ち込みやすい問題がそのままになっていたり、バイアスなくすべてを見るスタンスではないと、どうしても漏れが起こるのだと理解できた。
また、総合内科的な鑑別疾患という点で私に気軽に相談をしてくれる上級医も多く、自分の専門領域ではないと感じたときの違和感や不確実性を解決しようとして家庭医を頼ってくれることもある。倫理的な問題がないか、非がん患者の終末期の相談であったり、先述した食べられない患者の相談であったり、褥瘡治療の依頼であったり、家庭医療のコンサルテーションの幅は意外と広いのである。
多職種連携の重要性を説きながら「餅は餅屋、MSW、リハビリにおまかせ」と言っていることもあるようである。多職種の能力が高いと指揮者がいなくても退院調整はできてしまうので顕在化しにくいのだが、他の医師のことで多職種から「聞きづらいから教えて欲しい」と言われることもあり、医学を軸にしつつ多職種の価値感や共通言語を知っている病院家庭医は、多職種連携という意味でも親和性のあるスタンスなのかもしれない。
では、なぜ従来のアベンジャーズ型や総合内科型は、複雑な領域や多職種連携を苦手とするのだろうか。(苦手と書くと何もできないようなネガティブな印象になってしまうが、そうではなくこれらに対する興味や教育的な重みづけが下位であるという意味である。)
1つは複数診療科のローテーションの中で、教育的配慮から単純な症例を経験するからではないかと考える。単純な問題を選択するのは、医学的なトレーニングの方略としては理にかなっている。ノイズになるような社会的要因を考えなくても済むため、UpToDateやガイドラインにも解があるため学習者は混乱しにくい。高齢者が多い病院では、「ガイドラインにはこうあるけど、適応ないよね。」で議論が終わってしまう事も少なくないが、そこからが本来ならば病院家庭医の腕の見せ所なのである。
2つ目も1つ目に付随する問題だが、症例が単純だと多職種連携がそれほど必要がないのである。例えば若い患者であればリハビリを要することも少ないかもしれないし、裕福な患者はMSWの関与も不要だろう。看護師との連携はあるのかもしれないが、解が明確なのは看護の視点でも同じに違いないため、医師に相談する必要がないのだ。
3つ目は何と言っても家庭医がいないことであろう。複雑性を取り扱うときに重要な事として、省察的実践を最後に挙げた。つまり、症例を振り返って他にどんなアプローチがあったのかとか、価値観が複数あることに気づいて欲しいのである。ところが、それが苦手な人たちだけでは議論が進まないし、「そんなの要らないよね」とかトップが言ってしまうと複雑性にアプローチするモチベーションが下がってしまうのである。そこで複雑性を得意とする家庭医が院内にいれば、カンファレンスに新たな視点加えられる。例えば単純な症例のプレゼンが終わって一通りのディスカッションが終わってからでもいいが、「もしもこの人が治療を拒否したらどうする?」とか「もしこの人が独居で薬剤管理が難しかったらどうする?」とか設定をつけるだけで症例のレベルをあげなくても疑似体験ができるのであろう。本ブログでも過去にSDMの教育方法について紹介しているので、参考になれば幸いである。
もちろん、総合内科のベテランには様々な症例を経験しているうちにこういう観点を鍛えられている医師もいるし、省察的実践は家庭医にしかできないものではない。誰か仲間とこういう時どうしていいか分からなかったなどと指導医にぼやいているときにベテランも悩んでいるということをぶっちゃけているだけでも総合内科でも複雑性や多職種連携の教育はできるのだと思う。大事なのは多様な価値を持つもの同士がお互いを尊重し合いながら価値観を共有することではないか。当院でも総合内科的発想の医師は尊敬されるし、家庭医療の発想も重要なことを認識されている。そして家庭医は総合内科の診断学をトレーニングして総合内科は家庭医の得意技を参考にしていただければ、日本版ホスピタリストに近づけるのではないかと思う。
とはいえ、病院内に家庭医がぽんと放り込まれてもどう使っていいのか分からないだろう。だが、先述したように文化はすぐには変わらないので徐々に文化に混ざっていくイメージで何年も過ごしていると、よく見たら家庭医が総合診療外来や救急外来の主力になり、複雑な入院患者さんをマネジメントし、外来や在宅に見に行き、他の医師から相談していただけるような雰囲気になってくるのである。
アベンジャーズスタイルでも病院は回るに違いない。
だが、家庭医がいるともっとよく回るのである。
そう、家庭医は病院の潤滑油のようなものである。
就職活動でいうところの何の個性もないつまらないコメントになってしまったようだが、総文字数が9000字を超えると、もうこれでいいんじゃないかという気分になってしまうから不思議である。
まとめます
・VUCA(ブーカ)は、Volatility(変動性)、Uncertainly(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字。予測不能な状況での視点や行動や判断のための新しいパラメータである。
・不確実で複雑なものの対応
①複雑な事象をリスト化
②それぞれの要素が組織的な集合体であることを理解(システム理論)
③主治医や医療者もそのシステムの中にいることを自覚
④因果関係論ではなく一つの要素がさざ波のように全体に及ぼす多面的な影響を考える
⑤対話や議論を行ったうえで安全そうな直感的判断を試す
⑥一つの答えを求めるのではなく、全体にどう影響したのかを考える
⑦その振り返りをおこない自分が本当に正しかったのかを自問自答(省察的実践)
・Cynefinフレームワークは複雑の4段階を理解するうえで重要
・Simple / Obvious(単純な) Known 解くべき問題が自明で問題も安定
・Complicated(込み入った) Knowable 解が1つ以上あるもので、因果関係は既知だが正しいという保証はない。解は一つではなく最良の解が未知なのが特徴。
・Complex(複雑な) Unknown 解が未知で変化しやすく、問題間の依存関係は、問題が解決するまで明らかにならない。プロセスは実験的。問題を探索する活動で解法が見つかることもある(創発)。解が未知で状況が変化することと、解決策を得るための方法にはある程度のパターンがあることが特徴
・Chaotic(混沌とした) 問題が何なのかも不明。もちろん解も分からない。問題状況を制御することもできない。まず対処のための行動を起こしてみて、混沌とした状況をすこしでも複雑な状況に移行させる(安定化ではない!)
・複雑なケアの大前提は①本当に患者側が不確実で複雑なのか②医師側に問題はないのかというところを問い直すことである
・不確実なものに対峙した時の医師の反応は、不安を感じたり、悪い結末を懸念したり、不確実性を患者に開示することに抵抗を感じる。医師の負の対処行動からくるものには、入院や検査の増大、高次医療を行ったり、精神疾患、老年病、慢性疼痛に陰性感情を抱く。
・不確実性やカオスのエッジは成長のチャンス。自己の成長はcomfort zoneではなく、leading zone(stretch zoneともいう)で鍛えられる。
・アベンジャーズスタイルだと特定の疾患に引っ張られやすくプロブレムが抜け落ちたり、診療科の狭間に落ち込みやすい問題がそのままになっていたり、バイアスなくすべてを見るスタンスではないと、どうしても漏れが起こりやすい。
・自分の専門領域ではないと感じたときの違和感や不確実性を解決しようとして家庭医を頼ってくれる。
・多職種の能力が高いと指揮者がいなくても退院調整はできてしまうが、医学を軸にしつつ多職種の価値感や共通言語を知っている病院家庭医は、多職種連携という意味でも親和性のあるスタンスである。
・アベンジャーズスタイルの中の病院家庭医は潤滑油のようなものである。(異論は認めます)