南砺の病院家庭医が勉強記録を始めました。An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.

An archive of medical articles summarized by a family physician from Nanto Municipal Hospital.富山県にある総合病院で働く病院家庭医です。勉強の記録を少しずつ書いていきます。

病院総合診療医に関して、思うところ(その1) 自分語り多め

日本版(南砺版)ホスピタリストについて考える

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写真は初期研修医指導の一コマです。

精神科医が初期研修医に鏡検の指導をしているというのは興味深いです。

 

今回から数回にわたり、私が普段しているホスピタリスト(病院総合医)に関わるお話をさせていただきたく思います。この話を何故することになったのかというと、最近総合診療界隈で、病院総合医というもののキャリアパスに対する動きがあり、私も後輩にキャリアを提示するうえで「自分が何をしているのか、どうありたいのか、なぜこのブログのタイトルが病院”家庭医”なのか。」を明確にする必要があると感じたからです。長くなりますが、温かく見守っていてください。

 

はじめに

ー私は「普通の医者」になりたいー

当院で総合診療医を育成するにあたり、専攻医(後期研修医)にどんな医師を目指しているのかインタビューすると、このような意見がよく聞かれた。実は総合診療科のスタッフからも同様の意見が多かった

 

私は安心した。彼らならきっと「普通の医者」になれると確信した。

 

てっきり「名医ではなく良医になりたい」とか「サブスペシャリティーを取りたい」とか「圧倒的な診断能力をつけたい」とか「何でもできるスーパーマンになりたい」みたいなことを言われると思っていたので、「普通の医者になりたい」という言葉から非常に謙虚な想いの中に確固たる信念が伝わってきたのだ。

 

彼らになんとか良い研修をさせたい。

そんな想いでこの原稿を書いている。

 

少し自分語りに付き合ってほしい。(ちなみに原稿量は4700字である)

実は私も「普通の医者」になりたかった

医学部に入る前に、私は普通の町医者になりたかった。

何故かというと医者というものをそのぐらいしか知らなかったからだ。

一般人が抱いている昔のかかりつけ医のイメージである。

 

私は富山県の南砺市という高齢化が進んだ田舎で生まれ育った。両親が医者でないから医者を身近に感じたこともないし、医者の仕事を知っているわけではない。病気の事なら何でも知っていて、住民が医者を頼って集まってきて、困ったときには24時間いつでも身を粉にして働く。まるでドラマに出てくるような安易なイメージである。内科医になればなれるのかなと思っていた。

 

その前に薬学部を卒業していたというのも私のキャリア形成に大きくかかわっている。薬学生時代は、絵にかいたような落ちこぼれだった。薬学部というのは非常に授業もテストも実習も多く、私が卒業して数年で4年間のカリキュラムでは足りない事になったのか6年間に引き伸ばされたぐらいである。そんなカリキュラムを授業にほとんど出ずに、同級生のノートを借りて計画的に本試験を通すものと再試験に回すものを決めていた。もちろん再試験の常連であり、何度も留年の危機があり、教授の部屋に頭を下げに行ったこともある。奇跡的に4年間でストレートで卒業させていただいたが残った知識は同級生に比べて驚くほど少なかった。ここで学んだことは「プロフェッショナルとして大事なのは基礎力である。」「積み重ねは大事。」「人生やり直せるなら、真面目にやろう。」「社会人になって患者さんの役に立つためには勉強しかない。」という懺悔にも近いものであった。

 

幸いにも卒業と同時に医学部に再入学したので、この反省はすぐに活かされた。学業をおろそかにすると患者さんが不幸になるという恐怖心から在学中の勉強量はもともと勉強熱心な医学生の中でも多い方だったと思う。理系の方に分かるように言うと1年生にThe Cellや基礎医学の成書を読破して、医学部3年生にはCBT対策を終え、CBT対策に飽きたので学生時代に取れそうな救急の資格を取り、臨床推論や抗菌薬や心電図やレントゲン読影の勉強会に参加し、医学部4年生には朝倉内科学の通読を一通り終え、5年には医師国家試験対策を終了し、学年の有志と勉強会を結成して、勉強会の掛け持ちやレクチャーなどをしていたこともある。3年から6年までに病院見学を20個以上まわり、やり残したことといえばUSMLEだが海外に行く予定はないのでパスしたという感じであった。

 

だが、医学部に入ると町医者にはすぐなれないことを知った。「町医者になるには内科医になるといい。そして循環器内科、消化器内科、代謝内分泌内科などの専門を選んで、専門性の高い疾患をたくさん経験して、自分の専門性を確立していき、ベテランになったら開業して町医者になるのがよくあるキャリアパスである」と教わった。私の大学では総合診療が盛んでそういう魅力ある単語もたまに見聞きしたが、「何でも診れるということは何にも診れないのと同じこと。まずは専門性を高めよう。皆そうしてきた。」と言われて、勉強ができても将来が全く見えない医学生時代を過ごした。

 

ただ私は優柔不断かつ飽きっぽい性格であり「何を専門にするのか」と言われると、まったく選べなかった。世の中のためになるなら学校の成績の良い科目にしようかとも思ったが、あいにく勉強だけはできて成績表はほとんど優が並んでいたので、何科に進んでもまぁまぁやっていけるのかなと思いつつ、これといった運命的な出会いはなかった。それならば特定の臓器に興味があれば頑張れるのではないかとも思ったが、一生同じ臓器を極めるということは、今せっかく勉強して医学的知識があったものが、使わないでいるとどんどん忘れていくし、その臓器に興味がなくなったら、どうなるんだろうと医学生なりに危惧していたので、どれか一つに絞って、それ以外で悩む患者さんが来たら自分の性格からして分かりませんと言ってしまう医者になってしまうのではないかと思ったのである。(もちろん、領域別の専門医でも専門以外のものも積極的に診てくれる医師はいるのだろう。あくまで私の性格を自己分析すると専門を身につけてしまうと逃げの姿勢になると思ったのである。)

 

部活動の先輩で循環器内科医がいると、かっこいいと思いつつも、来る日も来る日も心臓ばかり見ていて面白いんだろうかと思ってしまうのである。一般内科という診療科でもあれば心臓も腎臓も肝臓も膠原病も診れるし面白いんだろうと思ったが、そういう診療はないという現状を突き付けられた私は、悩みに悩んで「麻酔科」を選択した。比較的、救急医療が好きだったのだが、地元の病院のニーズを聞くと救急医よりも麻酔科医のニーズの方が高そうなので、将来地元に帰るときに役に立つだろうという理由であった。あとは全身まんべんなく経験できるだろうとか、私はコミュ障なので患者さんとコミュニケーションで役に立つというよりは、しゃべられなくても貢献できる診療科を無意識に探していたのかもしれない。

 

ここで私の中の大事なものが明確になった。

「南砺市に貢献したい。診療科は何でもいい。役に立つ医者になりたい。」

シンプルな問いを胸に、医学部6年に7週間学外実習を過ごすことになった。

 

ここで家庭医療学に触れることになる。

病床数100床(回復期含む)、数人の一般内科医が広く患者を診て、在宅医療もしている中に外来・在宅を中心にしている家庭医と呼ばれる医師と、自治医科大を卒業されたただの内科医と自認する中堅ドクターと領域別専門医がいたのである。そこでみっちり家庭医療学のコアレクチャーを授かった。単一の病気をみるだけではない。複数の問題を診よう。さらには患者だけでなく家族も診よう。それを継続することで患者さんに安心感を与えるし、病気だけでない問題も関わることができる

 

これだ。と直感した。

 

今まで一生懸命学んできた医学的な能力は存分に活かせる

家庭医療学は南砺市にはない。これは絶対に役に立つ。

飽きっぽい私だが、家庭医療という理論がまだまだ知らないことだらけなので飽きがこないほどの膨大な勉強量になりそう。

さらにいうと、内科だけでなく小児科も産婦人科も整形外科も泌尿器科も皮膚科も精神科も勉強していいの?新鮮だ…。

 

そう確信し、実習期間に無理を言って、南砺市民病院に1週間見学に行かせていただいた。病院見学で言うと最後の1つ。有名病院を多数見学し非常に目も肥え、目的も明確になったマッチング直前の訪問である。将来貢献する予定の南砺市民病院がどれほどのものかこの目で確かめて、家庭医療が役に立つのかを見定めたかったのである。(今思えば、かなり上から目線)

 

そこに、さらに衝撃が走る。

家庭医療学なんて全然知らないはずなのに、地域を支えてきた医師達が家庭医療っぽいことをしているのである。私の将来の指導医になる荒幡昌久医師をはじめとする領域別の専門家がお互いの領域をカバーしあいながらも何でも診るし(いわゆるアベンジャーズスタイル)、リハビリや在宅医療にも熱心で、地域のニーズにこたえていたらこうなったと前院長が熱く話され、「有名病院に行って既存のカリキュラムに乗っかるのもいいけど、当院のカリキュラムを一緒に作っていかないか」とお声をかけていただき、これまでのマッチング順位が大きく変わった。前院長と夜中までバーで2人で飲んで今後の展望を熱く語っていただいたのは、今でも鮮明に覚えている。指導医のレベルも高く、私の希望であったUpToDateやDynamedなど初期研修医が必要なツールは全てそろえていただけることになり、「田舎の病院って落ちこぼれた人が行くんだ」と勝手に思っていたが、全く予想外の環境であった。

 ãã¢ãã³ã¸ã£ã¼ãºãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ 参考:アベンジャーズ

とはいえ、家庭医になりたいのに専門研修プログラムがないこの病院ではなれないではないかというキャリアパスの不安もあった。(なければ作ればいいのではないかと思っていたが…)

 

ここにもう一つ、運命的出会いがあった。

当院に、総合診療医が赴任することになり、家庭医療プログラムが誕生したのである。

隣の診療所に室林治医師、当院に小浦友行医師、三浦太郎医師、小林直子医師が赴任し、今考えても夢の総合診療オールスターズのような環境であった。

 

特に富山大学総合診療部教授の山城教授の尽力によるところは大きく、私が医師としてのスタートを切るときに家庭医の勉強を積んだ総合診療医と南砺アベンジャーズがハイブリットを形成している夢の病院ができているという実感があった。

 

さらに、当時の内科部長に現病院長が赴任され、総合内科に造詣が深いのに世界レベルの肝臓のスペシャリストであるため、領域別専門医の視点から厳しく総合診療医を目指す私に欠けているものを教わった。それは現在の総合診療を取り巻く環境の縮図ともいえるものであり、私としてはここを乗り越えなければ、日本版ホスピタリストにはなれないと考えている。

 

まだ医師11年目の若輩者だが家庭医療専門医・指導医をいただき、今の業務内容は、総合診療医として外来診療、病棟診療、救急診療、在宅診療、ドック健診業務、医学教育、褥瘡委員長、摂食嚥下チームリーダー、がんのリハビリテーションチーム、臨床倫理コンサルテーションチーム、看護師特定研修プログラム責任者、臨床教育研究センター、家庭医後期研修医の指導などの仕事に関わり、メイン学会である日本プライマリ・ケア連合学会では学会のあり方・知的活性化プロジェクトチーム(通称チーム岡田)で教育講演をさせていただき、若手医師部門病院総合医チームで様々な企画にかかわらせていただいたり、専門医部会の教育部門幹事などのやりがいのある仕事をいくつかいただけている。過去にはNSTや緩和などの仕事もしていたが業務削減をさせていただき、今に至っている。当院は私が初期研修一期生であるのだが、その時から学生・研修医教育に力を入れてきた。地域研修を含めると年間30名以上は教育しているはずである。修了生も年々誕生しており、国内外で各方面で活躍している。

 

自分語りがだいぶ長くなってしまったが、自分のバックグラウンドを理解していただいた方が、私の考える病院総合医像が見えてくるのではないかと考えて、長めの語りになってしまった。

 

ー私は「普通の医者」になりたいー

繰り返すがこのニーズは、南砺で病院総合医を目指す実直な若い医師のニーズである。

私自身がまだ諸先輩方をみていると「普通の医者」とは口が裂けてもいえないので、自分がなりたい医師像をここにまとめることで、自分のキャリア開発にもつかえるかもしれないし、ありがたい事に私の背中を見てくれていることもあるので、後輩のためにもなるだろう。

 

凡人である私が、普通の医者を目指している軌跡を言語化できれば、それが南砺版ホスピタリストのコアとなるところを明確にできるような気がする。もちろん私のコピーを作るのは本意ではないし、そんなものは不要である。ただ、「南砺を卒業した医師は最低限こんなことができるようになってほしい」というものは提示しなければならないと思う。

 

ちょっと話が長くなってきたので、続きは明日で。

 

明確にしていきたいのは

①普通の医者とは何か(学習者のニーズ)

②地域に役立つとは何か(患者や地域のニーズ)

③アベンジャーズスタイルだけでは問題があるのか(家庭医療の必要性)

④地域の小規模病院(コミュニティーホスピタルともいいます)をみる日本版ホスピタリストには何が求められているのか(諸外国のホスピタリストとの役割の違い)

⑤ホスピタリストのキャリアパスについて(キャリア理論について)

⑥領域別専門医からみた病院家庭医に足りないところ、病院家庭医と領域別専門医とは今後どう協力していくのか(今後の課題)

等になるかと思います。

 

だいたいこういう記事を書くと炎上するか、さっぱり反応がないか、である。

普段の論文の紹介ばかりしていると炎上しないので安心するが

この投稿がどんな反響になるのか非常に怖いところである。